政治家の競争と、会派名を自由民主党にした経過
(03/11/16) 

<見だし>
政治家の競争に関する論理展開 - 11/03-01:16
Re: 政治家の競争に関する論理展.. - 宮本 武蔵 11/03-08:22 No.3365
眼前の状況の問題点 - 11/05-00:57
具体的な表現は、会派名の復活 - 11/07-12:10
本来の会派名称「自由民主党」に復活 - 11/07-12:54
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政治家の競争に関する論理展開

 「政治家の競争」という内容に関する論理展開がなされています。

 おなじみの、「クオールエイド社」サイトの掲示板で、takeo氏が書き進めているところです。

 まさしく、自分自身が「まな板の上のなんとやら」の心境です。
「政治家の競争」
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=519&reno=518&oya=483&mode=msgview
 
 これからも、この議論は継続される見こみです。
 経営フォーラム
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?
 参照:クオールエイド 
http://quolaid.com/

 本来は、私の本の書評からスタートしたのですが、こうした展開になっています。これまた、意義あることでしょう。

Re: 政治家の競争に関する論理展開(投稿者名:宮本 武蔵)

>>  まさしく、自分自身が「まな板の上のなんとやら」の心境です。
> 「政治家の競争」

選挙に当選する事だけを目的とし、選挙で当選すれば、次の選挙までは安泰
と安心してしまう議員が多い中で、真剣にこの様なテーマに向き合っている
議員の数はどのくらいなのでしょう?
選挙目的型議員にとって、マニフェストが定着しつつある、政治情勢は、
正念場となるでしょう。吉田つとむの今までの努力が報われる日も近いと
予感します。

眼前の状況の問題点

 そのそも、政治家とは自己の主張や見解を全体の意志とするのが、本来の仕事であり、目的のはずです。

 その仕事をよりやりやすいように、議会で会派というグループを創るものだと考えます。

 行政に対して、自分等はこうしたグループを作り、その人数的・結束力的な強さを示そうとします。これは、議会内での力のどのように発揮できるか、これも重要な事柄です。粘りや駆け引きも、決してどうでも良い事柄ではないものと考えます。

 先ずはネット上で、関係住民の皆さんに、自己が置かれている問題点と、今後の方向に関しては、自己の見解を絶えず、情報発信することが何より必要な問題と理解しています。

具体的な表現は、会派名の復活

 別のスレッドで、会派から大量の離脱者が出た事を書きました。
 主要な関係記事は、下記のファイルにまとめています。
 http://j-expert.com/gik/kai/2003/10.27.html

 そうした中で、その離脱した側の人達からは、離脱のメッセージが発せられいません。上記の記事を書いていますが、今もって、憶測でしか判断できない状況です。

 残留者の私たちは、自分たちの新たなメッセージとして、会派名を従前の「自由民主党」に復活すると言う方法を取りました。

本来の会派名称「自由民主党」に復活

 以下は、2,002年当時の参考記事です。私のHP記事で、議会の所属会派の事を書いたもので、「自由民主党」と言う会派名を「まちだ新世紀」に変えた経過等を記したものです。
003.(02/05/02) 会派は自民党名を変え、「まちだ新世紀」に変更
http://www.j-expert.com/gik/kai/2002/05.02.html

 特に、「<新会派の結成状況> 2002年3月3日作成」を参照してください。当時の思い入れなどを簡明に記しています。

 なお、今回「まちだ新世紀」会派(=2,003年11月6日に、名称を自由民主党に復帰)から離脱者が出たことは、この会派名の問題で争っていたわけではないとことを付記しておきます。

 若干の説明をしますと、我々が、この間に「まちだ新世紀」会派の中で、その会派名を無理やり自由民主党に変更しようとか、組織的に自由民主党の名称をおしつけようとしたことは一切ありません。

 今回、「まちだ新世紀」会派から、無所属議員を含む6名の議員が離脱した際も、その「まちだ新世紀」の名称によって、関係議員全員の大同団結による現状復帰を願っていました。そこで、昨日まで、その名称もそのままにしていました。

 しかし、その後は、我々が(議員数が少数派である理由で)長年使用してきた部屋を出されることになり、現実、わたしたちの会派は、引越しをして、別の部屋に移動しました。その結果、外見的には、我々の側が、会派存続の連続性を物理的に遮断されることになりました。

 そうした経過も含め、心機一転、会派名を「まちだ新世紀」から、本来の会派名である「自由民主党」に復活させた次第です。