企画総務常任委員会行政視察(長岡市)震災時防災対策
平成18年4月24日(月)〜平成18年4月26日(水)

委員会の視察報告:長岡市(旧山古志村を主体に)
企画総務常任委員会視察報告書
作成 吉田つとむ 平成18年5月3日
視察概要 長岡市(平成18年4月25日)
・震災時防災対策について

<概要>

◎ 長岡市の発展経過、震災発生時期。
時期 内容
明治39年 市制施行
平成16年10月23日 新潟県中越大震災
平成17年4月1日 6市町村の合併、新「長岡市」の誕生
この時、山古志村が長岡市になる。
平成18年1月1日 5市町村の合併、新「長岡市」の誕生
市制100周年記念


◎ 人口・所帯(平成18年1月発行のガイドブックを参照)
人口 283,234人
所帯数 95,279所帯
面積 840.88 km2

◎ 新設合併の富山市に参加した自治体
平成17年4月1日 長岡市、中之島町、越路町、山古志村、小国町、三島町
平成18年1月1日 長岡市・和島村・寺泊町・栃尾市・与板町

◎ 震災復旧
 説明は、震災当時の防災担当者からのもので、具体的なものであった。詳しい資料と、パワーポイントを使って方法で行われた。
 
◎ 被災地の現地視察
 震災被災地に関しては、現在では長岡市の一部になった旧山古志村を中心に視察を行った。

<所感>
◎ 震災復旧
○ 避難所について
10月25日現在で、行政指定の避難所では73カ所が使用され、その他の避難所では52箇所が使用されたという。阪神大震災の教訓としても、行政が考える所には行かず、被災者が自身で考えた所に避難する可能性が低くないことが今回も現れた。
   山古志村関係では、6カ所の避難所が用いられた。この視察では、避難所に充てられた場所は見なかった。

○ 仮設住宅
その年の12月8日には避難所が閉鎖されたとのことであり、避難者の大半が仮設住宅に入居したことになる。これまた、阪神大震災の経験が生かされ、救援体勢が整ったということであろう。私がこうした被災地を訪れての経験であるが、今回は阪神地区に比べ、仮設住宅を設置する場所に恵まれたという地の利があったことも否めないと考える。
阪神大震災と違って、元の居住地によって、それぞれの避難者が仮設住宅ごとに入居することになったが、これまでの教訓を生かしての措置だろう。ただし、当時の山古志村住民の避難者が入居する仮設住宅は長岡市内に造られたが、村とは反対方向の信濃川を挟んで先に設置された。
    今回の視察時には、多くの建設中の一般の住居を見たが、それらの中には震災復興で再建された家も多いという。ただし、まだまだ仮設住宅から向け出せないでいる住民も多いという。長岡市役所の仮設住宅では、約半数の住民が、まだ仮設住宅を利用するという。もちろん、旧山古志村においては、道路の復旧もままならないところがあるため、その大半の住民が元の仮設住宅に入居したままだという。残念ながら、旧山古志村住民の皆さんが住む仮設住宅は行かずじまいであった。また、当時からの長岡市住民の皆さんが入居されている仮設住宅については、車上より視察する時間しかとれなかった。
 
○ 災害対策本部の体制について
職員の参集については、途中での災害救助応援で遅れたことを含めて、職員の集まりはなかなか困難であった。交通事情の悪化が大きな原因であったという。町田市で考えると、夜間・休日のなどの時間帯で発生下場合、職員が広域で居住していることもあり、その参集はとりわけ墾田であろう。もとより、全職員がそろった状態で考えることが現実的でないことが容易に想像しうることである。
なお、災害対策本部とメディアの関係において、この長岡市では災害対策本部をメディアに解放し、広報体制をクリアーにしたという。大勢の報道陣が押し寄せる中では、その方法が最も明快であろう。
当初は、消防本部に災害対策本部を設置し、電気の復旧で庁舎内にそれが戻ったという。県との連絡、災害協定を結んだ高岡市や会津若松市などからは相手から連絡があり、応援が早かったという。

○ 避難所の運営について
避難所の運営において、阪神大震災の例でも思うことだが、避難者の自主性を行政が強く求めている。しかし、家族や財産を全く失った人と、そうでない行政担当者とではその意識の相違が生じ、ちぐはぐな感じになっている。物事の円滑性や人員配置から考えて、避難所や仮設住宅に専従職員を張り付けるより、その場所で、リーダー格の人材を臨時の公務員職に委嘱して、行政の仕事を依頼した方が、手数も、コストも遙かに軽減できると言うものである。その種の意見を述べたが、これまでは考慮されたことがないと言う。

 ○ 生活再建支援法の運用について
    地震などの自然災害の復興で、その自宅などを失った際に、その資金が一部支給される制度だが、家の解体・再建を前提としており、家の修理には使えない等、現実的な側面が欠けているという。確かに、ここの事例で考えると、「修理・修繕」の方が家の再建に適している例もあるだろう。

○ 議員のあり方について

    行政担当者からはどこも適切な説明を聞けないが、個人的には、長岡市の桑原望市議とお会いでき、意見交換を行った。彼の活動については、下段の資料を参照されたい。現在も、彼のブログに詳しい。
   <長岡市議桑原望の復興ブログ>
   http://blog.livedoor.jp/nozomu69/

◎ 被災地の現地視察
 (前置き)
 個人的な経験では、この新潟中越の震災被災地視察は3度目となる。最初は、震災後の平成16年11月12日〜14日の日程で新潟中越地震の現場に単独で訪れた時である。次は、平成17年2月18日から20日に新潟県十日町市を中心に訪問した視察記事である。

参照:震災後の平成16年11月12日〜14日の日程で新潟中越地震記事
 この時は、現地でレンタカーを調達し、小千谷市や日本海側の自治体まで巡った。帰途では、徒歩で旧小出町までたどり着いた。
 これらを自分のHP記事 震災・防災 記事一覧(最新版) に、自分の報告以外にも関連記事を含めて掲載している。
http://j-expert.com/ike/shisai/list.html
(05/01/21) 議員の新潟中越視察・ボランティア報告集
(04/11/30) 記録の重要性とネットワーク(笹山登生さんの情報収集力に感謝)
(04/11/30) 震災被災地情報の発信について
(04/11/29) 遅延支援(仮設住宅への移転と片付け)
(04/11/29) 私が訪れた長岡市役所の損壊状況(11月12日)
(04/11/29) 災害の救援ボランティアの心構えとその準備
(04/11/29) 上越新幹線、上越線の復旧工事
(04/11/29) 議員の新潟中越視察・ボランティア報告集
(04/11/29) 地元議員の新潟中越地震現地報告
(04/11/26) 震災復旧事業で働く人々の姿
(04/11/26) 震災地を自分が運転するレンタカーで単独移動 2
(04/11/24) 震災地を自分が運転するレンタカーで単独移動 1
(04/11/24) 避難所から仮設住宅への移転について
(04/11/24) 山古志村の避難所とその子どもたち
(04/11/24) 風水害・震災の発生と、町田市の対応
(04/11/24) 新潟中越地震の震災地を訪れる
(04/11/24) 災害時の議会の対応(代表者会議・議運)
(04/11/24) 町田市の新潟中越地震の支援取り組み
(04/11/24) 桑原望・長岡市議のサイト=政治家の情報発信の有力さ
(04/11/24) 長岡市議桑原望の災害情報プログの情報は、貴重震災対策資料
(04/11/24) 山古志村緊急BLOGと義捐金の受け入れ
(04/11/24) 山古志村全員避難と今後の動向
(04/11/24) 長岡市議会はネット接続可能
(04/11/24) 新潟中越地震を自分に照らし合わせる
(04/11/22) ロサンゼルス地震災害に関して(平成7年10月24日〜30日)
        (復刻版:町田市議会自由民主党海外視察報告)
(04/11/16) 震災に関するインターネット情報について

参照:平成17年2月18日から20日に新潟県十日町市を中心とした視察記事
(05/03/31) 新潟県十日町市視察(クロス10)
(05/03/31) 新潟県十日町市視察・小規模作業所「ワークセンターあんしん」
http://j-expert.com/gik/kai/2005/03/31_2.html
(05/03/31) 十日町市視察報告(雪・水対策)

それぞれに新潟中越を訪問した際には、旧山古志村は通行禁止措置で近寄れず、今回も、長岡市のご厚意で現地に入れたものであった。
この山古志村は、例の「妙見」をはじめ、通行不能の道路もまだまだ多く、全面復旧の時はずっと先になりそうです。道路の復旧や付け替え道路の新設工事、様々の法面工事、河川の復旧、公共施設の復旧等々、果てしない再建工事が進行中でした。しかし、相前後して発生した大雪害・大雨被害等でこれからの復旧工事が実るか、再び、土砂崩れや河川の決壊などが再発生するか、私には想像も出来ませんでした。自然の猛威に、どのように対応するか、この旧山古志村では答えは出ないのではないでしょうか。

そうした中で、特産の錦鯉を養殖するための冬場の温室があちこちに新設されているのがわずかの希望に見えました。
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