1 日本初の電子投票を現地で見る

○ 日本で最初の電子投票をした人

 私が見た人は、岡山県新見市第一中学校の投票所で投票した人であった。そこには、大勢の新聞記者やTV報道関係者が訪れた。その場で私が見ただけでも、総勢20人には達していたであろう。前日に顔見知りになった、地元の日刊紙「備北民報」も投票時間前に目にした。
 取材人の話に聞き耳を立て、投票に来ている列のその一番前の人に注目した。その人は、この記念するべき「電子投票」を行うため、前日からそこに並んでいたという。その場所は、ちょうど私が宿泊したホテルから、わずかに100mの距離であった。私がその投票所の下見をしたのは夕方であったが、夜の時間に下見しておれば、日本一の投票者に単独インタビューをできたであろう!!もっとも、選挙はたくさんの投票所で行われているので、このようにメディアの目が集中するところもあれば、全くメディアがおとずれない場所のあることを注記したい。いずれにしても、日本で最初に電子投票した人は、その投票所ごとに数十人いたことは間違いない。

○ 障害を持った人の動き

 午前6時30分頃には、その投票所の入り口で2-3人の人が並んでいた。投票の時間である午前7時には、10人以上の人数となり、それらの人は、時折、ガラス窓越しに中の様子をうかがっていた。いよいよ、投票所の垂れ幕がおろされ、投票が開始された。除夜の鐘がなる時のように、その時間には三々五々に人が集まり、投票を待つ人の列は一挙に二十人以上の人数となった。その列がますます伸びるのかな、と思った瞬間、投票を待つ人の列は、スーッと投票所の中に吸い込まれていった。
 そうした中で、投票所のもう一つの入り口側から、ゆっくりと電動車椅子でやってくる人影が目に入った。投票を終えた人の取材が続く中、TVクルーの中には、近づくその車椅子の人を映しだそうと言うものもいた。選挙の取材陣が取り巻く投票所前の緊張感の中に、その女性の登場はなにかほのぼのとした情感がもたらした。実際には、車椅子を動かすのがまだ上手でないようで、バリアフリーのコンクリート坂をのぼる時には、付き添いの人が手を添えていた。
その車椅子の女性が投票を終えて、建物から出てきたのは5分も経った頃だろうか。いっせいに、取材にきたメディア陣が取り囲んだ。そうした時点で、私の投票者の中に入り込めないことは無かったが、メディア腕章がない「現地ルポ中の身」としては無用の混乱を避けたかったし、「議員」としてそれよりの厳粛な選挙の雰囲気を壊す気にはなれなかった。

○ 高齢有権者の動向

 午前8時ほどになると、投票風景も極変哲のないものに変わってくる。歩いてくる人もあり、車で来る人もありの状況となった。投票所の中の動きも極めてスムーズであり、当初は投票が難しいのではないかと懸念されたが、むしろ高齢者のほうが、「簡単でよかった」、「模擬投票の時と違って、全部自分でやれたよ」などの声が相次いだ。
 
○ 片山総務大臣の来訪

 この電子投票は国政でも注目され、この日の朝は「片山総務大臣」の来訪視察もあるという。メディアの人たちも、そちらの投票所に移動する様子がうかがえた。私はどうしようかと一瞬考えたが、なにも総務大臣が視察するところを、私が見に行っても意味は無かろうと判断した。「今日は開票作業を見ることが優先だ。夜までまだまだ一日が長い。まずは、自分の腹ごしらえである」と理由を作り、ホテルに戻ることにした。
 片山大臣を見ることを避け、「自分の日程に、ゆとりを持つ」この考えが、後になった随分と自分に幸いすることになる。(後の記事部分でまた触れたい)

○ 一般の投票者の表情を見る

 上記の投票所の横をタクシーで通り抜け、次の投票所に向かった。その間は、JR線で一駅だったが、列車が停車するのは、2-3時間に1本の割合である。新見駅からの便では、特急優先で隣の駅などに行くのがもっとも不便であり、地方の交通事情を改めて考えさせられる。

 さて、そこの投票所は、実にこじんまりしていた。自分が議員をしていると、このように選挙を冷静に観察することは稀である。いやむしろ、心が高まるか、悲痛になるかの二者択一である。

 投票所の会場は、受付が左側にあり、受付の入場券用紙(町田市では、葉書になっているが、この新見市では封筒にその用紙を入れるという。大勢の家族が揃う家庭に送るには、市内特別郵便を利用した、この方法が低コストであろう)を出すと、名簿に照らし合わせ、入場券をコンピューターで読み取る。それにあわせて、「投票カード」を発行する。合計3名の職員がそこに位置していた。
 
 投票者は、その投票カードを受け取り、先方の投票機に向かう。その形態は、投票の際の書き込み台位置に相当する。ここでは、各区切りをした場所ごとに投票機がおかれ、全部で4台が並んでいた。その投票機については、後述する。各々の書き込み台に相当する位置に投票者が並び、その投票機に投票カードを差し込むと、棒の端に取り付けた、頭上の緑のランプが点灯した。

<その取扱方法は、デモコーナーが新見市役所内に設置されたので、そちらの取材記事で紹介する>

 今回は市長・市議選の同時選挙であり、投票者はその同じ投票機で2度、連続して投票するやりかたであった。連続して投票できるのが、投票用紙を用いる一般の選挙との大きな違いであった。
 一瞬手順に迷いがありそうな人がある場合には、時折、少し後方で1名の係員が説明を入れていた。なお、投票機の真反対側には、選挙の投票管理者が位置していた。迷惑をかけてはいけないと考え、事前に「個人的に視察見学をしているが、会場には一切入ることはしない」と伝えた。
 単独で来る人、家族で来る人、子ども連れで来る人、近くで葬儀があり喪服のまま駆けつける人、近隣で誘い合って来る人等様々でした。
しかし、ここ新見市では、皆が高い選挙意識を持っている。なにせこの新見市では、選挙の投票率が90%近くに達するという地域である。しかし、今回選挙の投票者数は16,829人(男 7,931人、女 8,898人)だあり、得票数では86.83% と前回より幾分低下した。その理由については、私が分析する・できる情報はほとんどない。少なくとも、電子投票の結果、投票を避けたと言う話は聞かなかった。

○ 閑散とした投票所

 新見市は、2万4千人の人口で、400平方キロの広さのため、選挙の投票所は分散しており、場所によっては閑散としたところもある。私は取材で、それほどのところまで出向かなかったが、白鴎大学の学生はタクシーでそうしたところも取材したという。

○ 取り巻くメディア
 
なにせ、現地には数百人の報道関係者が訪れている。朝の時間帯は、それぞれの記者が、第一中学校を始めとする大きな投票所をメインに、記者が20人くらい。TVカメラは5本揃っていた。その後は、各投票所や市内の各所に出向いて取材して周っていた。午後の時間は、夜の開票時間に合わせてのんびりしている記者も目立った。それぞれに食堂で食事を取ったり、弁当を食べているの姿が目に付く。東京と違って、新聞記者さんも、自分が観察されていたとは、まさか気付かなかったであったろう。

もちろん、新見市は岡山市から特急で1時間強の地区であるので、夜間でなければ電車で岡山市から移動することも簡単である。高速道路を使用しても、同様の時間を見込めば十分に移動できる距離にある。片山総務大臣の訪問を追いかけ取材した報道陣は、岡山や東京に戻ったことだろう。
私をタクシーに便乗させてくれた「読売新聞」の記者は、自分の社で20人位は来ているのじゃないか、東京・大阪・岡山と別々だから、全部のことはわからないなー、ということであった。

 朝日新聞は、出口でアンケート調査もやっていた。朝の時間も、市役所そばの投票所でも大勢の記者を見たのだが、噂では40人くらいはいるだろう、ともっぱらの噂であった。私が見たのは、6人揃って朝日新聞の記者がデモセンターで、取材をしていたのを後ろから眺めていた。今回、たまたま、同社記者とのみが会話をしなかった。

 産経、毎日新聞の記者からは、私への取材があり、それぞれの記事になった。他に、フリーライターや、TVカメラクルーが無数に動き回っていた。中に、知り合いのフリーライター氏も入っていた。

○ 現地に訪れた学生と研究者

 現地では、白鴎大学教授 福岡政行ゼミの学生 平野真弘さんとお会いした。電子投票のフィールドワークのため、一人で来たとのことであった。福岡先生には、吉田が大変お世話になっているので、夕食をご馳走する約束をした。もっとも、電子投票選挙開票も取材対象のため、食事の後が本番であり投票会場では、ずっと隣の席で過ごした。研究のため、地元の日刊新聞「備北民報」のバックアンバーを提供する約束をした。

 また、投票所の各所には、杏林大学社会科学部(いずれ、総合政策学部変更)の岩崎研究室の学生が、「出口調査」を行っていた。杏林大学は、私の住む東京都町田市に隣接した八王子市にある大学である。そうした調査をやっていることを全く知らなかったが、せっかくに縁なので、その結果については、また杏林大学に取材に行きたいと考えた。(このように、当日のHP掲示板記事に書いた)ところが、開票所で偶然にもその岩崎助教授が、私の後席に座わられていた。会場内でメディア取材が行われていたため、そのことが分かった次第である。
 岩崎助教授は、大変お若いがお互いに知っている政治学者があり、いずれの再会を約してきた。いずれにしても、この電子投票に関して、大いに関心があり、共通の話題が出来そうである。
(アップ後、平成14年6月30日。意味を変えない点で、若干文字の訂正をした)

1 日本初の電子投票を現地で見る
2 私の現地ルポを手伝ってくれた人々
3 市役所職員の頑張り
4 死闘を制した、電子投票メーカー組合
5 開票作業
6 電子投票時代の選挙運動
7 私の、電子投票の一般質問内容(平成13年)
8 私が受けた取材
9 参考資料