4 死闘を制した、電子投票メーカー組合

 電子投票は人手を省けるが、一方で初期費用がかかる。ましてや、このデフレの時代に「人力」投入こそ経済対策の第一歩の考えがあろう。通常選挙というものは、一般に公務員の皆さんに多大な残業手当てを支出させるのみである。

 ともあれ、この岡山県新見市では、日本で最初の電子投票をすることにした。有権者が2万人にも満たない都市でのことで、当初考えていた費用は1億円にも達したと言う。実際には、投票機をレンタルすることになり、その支出費用は500万円で済み、国が半額補助をするため、新見市の負担はわずかに250万円で済んだと言う。(一説によると,総額で250万円・・・・別途調査する)

 果たして、これだけの電子投票の機械をレンタルにして、500万円(一説に250万円・・国の費用負担が半額分を含んで事ともいう・・・後日調査する)でできるのか?この新見市は面積 351.99kuと言う広大な広さである一方で 、総人口 24,258人という人数である。それに比して、投票所が43箇所となっている。ちなみに、有権者が多いほうで、2,000人以上が一箇所、1,000人以上2,000人以下で6箇所となっている。他方の少ない方ではで、100人以下の投票所が8箇所となっている。そのことも見ても、人口過疎区域があることが予想される。こうしたところに、電子投票のメーカーは、その電子投票機を配置して周り、またそれを回収する。最低配備数だけでも、100台ではすまないだろう。有権者が1,666名の第一中学校では6台の投票機があり、有権者719人の「石蟹ふれあいセンター」にも4台が配置されていた。経過では、当初模擬投票用に20台を納入して、後で134台と投票カード発券機86台を納入したという。

 これだけの体制をどのようにして、実施したのだろう。しかし、そこには膨大な作業量があったことを推測させるのは容易なことである。よくぞ、この「電子投票機」選挙のレンタル方式で、500万円(一説に250万円・・国の費用負担が半額分を含んで事ともいう・・・後日調査する)と言う低額で落札したものである。これで電子投票の時代への糸口が開かれた。歴史の扉は開かれた。
 しかし、このことについては、この新見市は、3月議会の当初予算で、投票機の買い取り費用として、1億4,620万円を計上しており、この方針変更は総務省のものであるらしい。その根拠として、納入者自体がそのように発言されているからである。
 なぜ、急遽そうした事態になったかに関しては、私は現地で情報を得なかった。当日の電子投票の投票には、片山総務大臣自身が、「正田ふれあいセンター」での視察を行っている。納入メーカーの代表者とであったか、そうでなかったか、そうした事態は確認していない。

 今後、 宮城県白石市は、来年の統一地方選挙時期に改選となり、その選挙において、電子投票を実施する方向で準備をすすめるとのことである。さらに、政令指定都市の広島市も来年2月の市長選挙において、一部の区で電子投票を実施するとのことである。この広島市は、衆議院議員から転身した秋葉忠義市長さんが、以前から電子投票の推進者で知られていたので、「投票機買取」と言う決断があるのではなかろうか。

 さて、話をもとに戻し、この岡山県新見市の電子投票では、「電子投票普及協業組合」と言う名称の企業グループが落札していた。私は、現地に行って「デモセンター」での説明者の名札を見て初めて知った次第である。

 もとより、どのような企業がこの電子投票の研究を進めているか、それなりに関心を持っていた。しかし、自分が平成13年当時に議会の一般質問をした際に、資料が揃ったのが「富士通機電」のものであった。あの「富士通」の関連会社であった。たまたまその会社には、別の機会に工場
視察したことがあった。そこで、こうした研究推進は、そのメーカーがトップにいると勝手に考えていた。ところが、実際には全く別のメーカーも研究・開発していたのである。ひるがって、自由競争・企業戦争の社会であるから、当然のことと言える。

 上記のように、今回のこの「電子投票選挙の投票機」入札争奪戦で、落札企業はわずか500万円のレンタル代を得たのみである。大勢の社員が事前に機械操作の講習・機械の調整に動いていたはずである。新見市の電子投票実施経過資料をみても、何度も模擬投票などの説明会が開かれている。メーカーとしては、そうした実施費用だけでも莫大なものを覚悟しなければいけない。あらゆるリスクに打ち勝って、今回の電子投票機を開発を推し進めたのである。

 さて、新見市市長・市議選で、電子投票機の実施開発をした企業グループは、「電子投票普及協業組合」と言い、パンフレットによれば、その参加企業として次の会社名を挙げている。それは、叶ュ治広報センター、鰍mTTデータ、潟rクター・データ・システムズ、潟Zキュア・テックであった。

 その中で、リーダーシップを取るのは、その理事長を務める「叶ュ治広報センター」の宮川隆義社長である。その人物は政治評論家として昔は有名であったが、今では「政治公告分野の事業家」となっておられるようである。私が国会議員の秘書をしている時代に、なんどか目にした人物であった。何時までもバイタリティーがある方である。

 現地には、宮川社長が自ら乗り込み、「電子投票機」の日本初の使用に立ち会っていた。この人物は、政界人脈が広く、一般には国会議員の情報ハンドブック「国会便覧」の発行所の経営者として有名である。もとより、その叶ュ治広報センターは、事業的には政治家の広告代理店業というのが正確な表現であろう。

 現地では、23日の朝、その宮川隆義理事長と、ホテルの朝食で一緒になった。宮川氏は、二人ずれでそこにおられたが、(後で考えると)会社の人と同宿されていたようた。私は、選挙の投票所を取材した後でホテルに戻ったのだが、その二人連れは、会社の部下からの連絡で、選挙の投票が順調に進んでいることを既に承知しているかのようであった。(もちろんこのことも後から、考えたことである)
 なぜなら私は、その食事の段階では、その人物があの宮川隆義氏とは気がつかなかったのである。風貌から、どこかの都市の選挙管理委員長と選挙管理委員会事務局長の二人連れと判断した。実に、自分が洞察力に欠けているか、と後から思い知った。ある意味では、その会話を盗み聞きしていない証拠と考えていただこう。

 6月23日、私は市内の投票所を数箇所みて、市役所(まなび広場にいみ大ホール)の開票所の再確認にきた。開票所の参観入場受付時間は午後の7時ということ、その場所と入場時間が午後の8時であることを確認した。
 その後は、隣接する市役所内の山林開発センター(教育委員会の2階)に設置された「電子投票デモセンター」を見学し、その体験をした。

 なんとそこには、朝食で一緒になった「選挙管理委員長さん」らしき人物が、どっしりとテーブルに構えていた。<私は、この人はやはりどこかで見た人物だ。だれだろう、・・・・と記憶をたどらせた>入り口から入った会場の正面には、「電子投票デモ機」が配置され、そこで若い人物が、落ち着いた丁寧な話し振りで、機械操作の説明をしていた。(続く)


「電子投票普及協業組合」 参加企業:叶ュ治広報センター、鰍mTTデータ、潟rクター・データ・システムズ、潟Zキュア・テック
叶ュ治広報センター  選挙キャンペーンの請負、世論調査、選挙予測等。(ヤフーの説明)
 
1 日本初の電子投票を現地で見る
2 私の現地ルポを手伝ってくれた人々
3 市役所職員の頑張り
4 死闘を制した、電子投票メーカー組合
4−2 死闘を制した、電子投票メーカー組合
5 開票作業
6 電子投票時代の選挙運動
7 私の、電子投票の一般質問内容(平成13年)
8 私が受けた取材
9 参考資料