4-2 (続き)死闘を制した、電子投票メーカー組合

 そのデモセンターにおける電子投票のデモ機説明は、メーカーの担当者によって淡々と続いた。6月23日の新見市市長・市議選の投票・開票日には、メディアの直接関係者だけで200人はくだらない人数が、この2万数千人の小都市に押し寄せた。

 それぞれの記者は、投票所の取材が一通り終了すると、開票時間まで時間を持て余すことになる。もちろん、選挙事務所を訪問して選挙の取材することは可能であるが、この電子投票の導入是非が選挙戦の争点として争われているわけでもなく、市長選挙で二人の候補者がつばぜり合いをしているというわけでもない状況であった。そうした状況下、とにかく記者は、電子投票デモセンターに集まり、その電子投票デモ機の前に次々と見学に訪れていた。別途の記事紹介をしたが、最大のかたまった集団では、朝日新聞の一グループが6人連れであった。その会場に入るのも見かることがあったが、他社の記者氏に言わせると、その朝日新聞社ではおよそ30ー40人くらい来ているとの情報であった。さすが大手メディアト言うべきか、大半がハイヤーをチャーターして、移動していた。

そうしたメディア陣のほかに、各地の選挙管理委員会職員が、これまた次々と入ってきた。行政の選挙管理委員会グループは、数名のグループが大半で、まれに10名くらいのグループも見かけることができた。

 それらのこの場所に来た全ての人物は、この電子投票システムメーカーのセールトークを聞く立場にあり、その話を頭に刻み込む立場になったのである。(冷静さには、自信を持つ私を含めて!)

 そうした状況であれば、主催者は、もう口が酸っぱくなるほど同じことを喋るするほかないだろう。時おり、投票所から「投票機」の作動のトラブル情報が入ってくる。その時々で、記者は色めき立つが、主催者は、「(選挙管理委員会)職員の、単なる操作ミスです。手順を間違えただけです」、「投票数ゼロ確認をしないで、投票を開始したためのミスです」などと、さらに淡々と説明した。

 そうしたトラブル情報の中に、「投票カードを入れたが、そのカードを機械が飲み込んだまま出てこない」というものがあった。その際にも、「1台の機械で、作動が停止したに過ぎない。投票記録に問題は生じていない。後は、代替機で投票を進めた。大過ない」と、先の<選挙管理委員長らしき人物>は、力強く言ってのけた。その人物の自信ありげな態度に、食ってかかる記者は一人もいなかった。なぜならば、その人物は、<今回の入札で、投票機の「買い取り方式」から「レンタル方式」に急遽決まったから十分な準備はできはしない!総務省が悪いんだ!>とまくし立てていた。私は、ずっとそばにいて、関心することしきりであった。

 そうなのだ!新見市の平成14年度当初予算案では、買い取り価格の予算が提示され、議会の採決もされている。誰が見たって、レンタル制度が導入される根拠はないのだ。誰かが、レンタルの切り替わるように操作したのだ。このおかげで、メーカーは1億円以上のビジネスチャンスを失ったわけである。単に500万円のビジネス商戦に低められたわけである。何年もこの商戦の機会を伺っていた業界の人物にすれば、憤懣やるかたないことであろう。

 さて、私は前の項まで、私は<どこかの選挙管理委員長らしき人物>が誰だかわからなかったように書いてきたが、デモ機の説明をしている、電子投票普及協業組合の人物の名札をみて、直ぐに理解をした。そのデモ機の操作説明している人物は、名前が「宮川」となっていた。「そうか!このデモ機で説明している人物は、宮川隆義氏の息子さんで、<どこかの選挙管理委員長らしき人物>は、宮川隆義氏(政治評論家)本人だ!」と気が付いた。思い起こすと、私が、その宮川氏を最初に見たのは、昭和61年前後であった。八木大介参議院議員の第一秘書として東京に出てきて以降、その所属政党であった「サラリーマン新党」の事務局に専従職員をしていた当時のことであった。その党で、ドタバタ劇があり、そのことに関連して、私はこの宮川氏を見ることになったのであった。

 さて、話を元に戻すと、この 「電子投票普及組合」の宮川隆義理事長にしてみれば、「買い取り販売」方式で、1億数千万円の売上になるものが、500万円のレンタルの商談では話にならないはずである。
 なんとしても、この新見市での日本で最初の「電子投票選挙」でスムーズなスタートを切ることが必要であったろう。この商戦で、「日本初の電子投票機納入・作動」という実績を収めることが、今後の商戦でのビジネスチャンスにつながっていくのであろう。

 この日、片山総務大臣が、この電子投票の投票状況の視察をするが、この電子投票の立役者=宮川氏と、現地でどんな出会いをしたのか、私は聞き損ねてしまった!現地ルポライターとしては、少々パンチ力を欠いていることであろう。
 せっかく、ここで宮川氏の息子さんと知り合いになったのであるから、機会をみて取材をしよう。

 開票トラブルが一段落すると、この宮川隆義氏らのテーブルでは、弁当を食べる段となった。TVカメラも近づき、電子投票記念弁当を食べる宮川氏らの光景は、全てビデオテープに集録されることになった。電子投票にちなんで、弁当も発売される。そのおかずが、「選挙に勝つ」ものに全てが比されていた。数百人もの人物が現地に取材に訪れたため、それらの弁当も不足し、私はその場では食べ損なってしまった。記念に、宮川氏一行の弁当の包装紙をもらってきた。もらえるものは何でももらう、自分の特徴が出た。さぞや、さもしい人物と思われたであうが、私にとっては、この商戦に打ち勝った(宮川氏らの)皆さんへの「心の中での」お祝いの念とした。

「電子投票普及協業組合」 参加企業:叶ュ治広報センター、鰍mTTデータ、潟rクター・データ・システムズ、潟Zキュア・テック
叶ュ治広報センター  選挙キャンペーンの請負、世論調査、選挙予測等。(ヤフーの説明)
 
1 日本初の電子投票を現地で見る
2 私の現地ルポを手伝ってくれた人々
3 市役所職員の頑張り
4 死闘を制した、電子投票メーカー組合
4−2 (続き)死闘を制した、電子投票メーカー組合
5 開票作業
6 電子投票時代の選挙運動
7 私の、電子投票の一般質問内容(平成13年)
8 私が受けた取材
9 参考資料