ライオンズ石油と紀伊国屋文左衛門
(05/04/05)

 この記事は、 「ライオンズ石油とライブドア」の続きです。

<目次>
ライオンズ石油は元売系列下に - 吉田つとむ 03/20-09:38 No.6012
落日のライオンズ石油 - 吉田つとむ 03/20-09:59 No.6013
カルフォルニア米の輸入PJ - 吉田つとむ 03/20-10:18 No.6015
カラオケBのライオンズ物語 - 吉田つとむ 03/20-10:27 No.6016
佐藤社長、最後の挑戦 - 吉田つとむ 03/20-10:47 No.6017
消えた昭和の紀伊国屋文左衛門 - 吉田つとむ 03/22-07:28 No.6063
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ライオンズ石油は元売系列下に - 吉田つとむ 03/20-09:38 No.6012

 ライオンズ石油は、昭和59年から60年にかけて、ガソリン輸入の申請をして、その実現に取り組みました。

 実際には、通産省の手によって、そのプロジェクトは押さえ込まれてしまいました。

1.ライオンズ石油から、ガソリンを引き取る

 ライオンズ石油が輸入した品物は、(ガソリンとはせずに、)ナフサとして輸入することにし、その手続きを日本鉱業が担当する。その金額は、ライオンズ石油が要した費用に若干の金額を積み増しして、支払われることで話が成立しました。

 *この間、いくつかの話に立ちあいましたが、この話題の時には佐藤社長自身から、その接触自体が知らされませんでした。当然、出席もせず、後で新聞でその経過を知った次第です。思うに、私のような立場の人間をそこにおいて、その種の圧力による行為を行うことは出来なかったのでしょう。

2.ライオンズ石油に、新たに元売を紹介する

 ライオンズ石油は、こうして自前でガソリンを輸入することができなくなるため、通産省が仲立ちをして、ライオンズ石油に元売を紹介することになった。

 その元売は、太陽石油といい、メイン製油所を四国に持つ会社であった。たまたま、関東圏に進出を図る絶好のチャンスと考えてのことであった。

3.ガソリン輸入に関して、佐藤社長が絶対行わないとする念書を作成する。

 この念書は、単に念書であるのですが、現実にはその効力が発揮されたようで、佐藤社長はもちろん、その後にガソリン輸入は自主的にはまったくおきませんでした。
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落日のライオンズ石油 - 吉田つとむ 03/20-09:59 No.6013

 そのことによって、ライオンズ石油のガソリンスタンドは、一斉に看板が書き換えられることになった。首都圏の外周部を走る国道16号線界隈に拠点を張るライオンズ石油のスタンドは、赤い太陽石油の看板がまぶしく輝いていた。

 ライオンズ石油の本社には、太陽石油から幹部が乗り込むことになり、佐藤社長は形だけの社長になりかかっていた。ガソリンを安く売るという現代版「楽市・楽座」の構想は、発揮される場面が薄らいでしまった。

 この間、私は突然衆議院選挙に出ることになった(した)。自分の住まいは都内の大田区であったが、その時の事情で、(当時の中選挙区の時分で、町田市から奥多摩の地域まで広範なエリアである)東京11区より、立候補することにした。

 神奈川県であるが町田市に隣接する相模原市から、佐藤社長は、社員を引き連れ、たびたび応援に来てくれていた。その本旨は、国に立ち向かって欲しいという気持ちであったろう。ただし、本人はあえなく落選している。
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カルフォルニア米の輸入PJ - 吉田つとむ 03/20-10:18 No.6015

 ライオンズ石油が太陽石油の系列化になったことで、佐藤社長の役割は終わった。佐藤社長は、おめおめと大手の系列化にあって、サラリーマンのように働くタイプでなく、いつも独立志向をする人物であった。

 そのうち、この太陽石油の系列を離れることになる。というか、佐藤社長が、ガソリンスタンドの経営から手を引く時代がやってきた。

 その当時の果敢な試みとして、「カルフォルニア米の輸入」というものがあるが、昭和61年にカルフォルニアから、「お米」をせっかく国内にそれを持ち込んだが、全量を焼却処分にされている。

 ただし、これはそれをどこまで事業化しようと考えてのことだったか、不明である。なぜなら、私は2回目の衆議院選挙に挑戦しようとしており、人も資金もまったく不足して、ほとんどそれに没頭する以外の道が閉ざされていた。

 その佐藤社長が試みた、カルフォルニア米の輸入プロジェクトは、飛行機の手荷物分のみが国内に持ち込まれることになり、新宿東口で3,000人ほどの通行人を対象に、「街頭試食会」が開催され大いに賑った。ただし、そこでカルフォルニア米を食べた人に幾人が、それが国内にお米の輸入実現を図ろうとしたプロジェクトであることをしていたであろう。ともかく現場はごったがえしており、TVカメラは何本も立ち並び、佐藤社長は満足げであった。

 ただし、写真週刊誌を除いて、この「カルフォルニア米の輸入」プロジェクトの記事は大きくなかった。
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カラオケBのライオンズ物語 - 吉田つとむ 03/20-10:27 No.6016

 そうしたことで、私は佐藤社長との付き合いがほとんどなくなったいったが、その後も佐藤社長の事業意欲は次々と展開されていた。

 その最初の事業は、大きなカラオケボックスであった。そのスタイルは、(今のシダックス風の大型の建物で、)当時のカラオケボックスのイメージを打ち破るような規模と豪華さを持っていた。相模原市内や下北沢に店舗が展開されていたが、佐藤社長の話とは違って、それほど店舗拡大はおきなかったようである。

 名称は「ライオンズ物語」とされ、佐藤社長の思い入れが強かったようである。
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佐藤社長、最後の挑戦 - 吉田つとむ 03/20-10:47 No.6017

 その前後、ガソリン輸入に関して、ハワイから輸入する話など、一部に起きていましたが、基本的には、外国からガソリンを買うことは、通産省の邪魔が入ることは必定のことでした。

 佐藤社長に関する話を聞いたのは、佐藤社長が格安ビデオの販売をはじめた時のことであった。

 これは、佐藤社長自身から聞いたのでなく、当初は他の風評でまた聞きした経緯があったことでした。

 私も佐藤社長から、この話の説明を少し聞いたが、ガソリン輸入の佐藤社長であるゆえ、話題としてほとんど興味も起きなかった。

 ところが、この佐藤社長のビデオ販売の事業は、トンでもない方向にいってしまったようである。

 その取り扱い品のことで警察が入ったり、販売事業の加盟店からはその料金に関して返還訴訟を起こされたりり、果ては当時の住専から騙し取ったとして、起訴までされてしまう事態になっていったようでした。

 自宅を知っていたので訪ねていきましたが、その所在はまったく分からなくなったしまいました。

 ライオンズ石油時代の社員の人とは、今でもささやかな付き合いが残っている人もあります。

 ライオンズ石油の佐藤社長は、資金力で立ち行かなくなりました。

 さて、ライブドアの堀江貴文社長は、こうした社会への挑戦をどのように展開していくのでしょうか。
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消えた昭和の紀伊国屋文左衛門 - 吉田つとむ 03/22-07:28 No.6063

 「昭和の紀伊国屋文左衛門」を名乗っていた「ライオンズ石油」の佐藤太治社長は、「ガソリンの安売り」で一世をふうびしましたが、こうして経済界から消えてしまい、私はその消息すら知らない情況です。ただし、年齢ではまだ50歳代に入ったばかりのはずですので、元気にどこかで頑張っていてくれるはずだと思います。

 また、別の視点で見れば、「ライオンズ石油」の佐藤太治社長は、通産省の指導の下、護送船団方式で業界が形成されていたガリバー状態の石油業界に、たった一人で殴りこみをかけた存在でした。

 その姿が、ライブドアの堀江貴文社長とイメージがダブルところがあります。

 ただし、その違いは「資金力」にあるのではないでしょうか。では、なぜライオンズ石油の佐藤太治社長のなかった資金力が、ライブドアの堀江貴文社長には、資金力が備わっていたかが疑問です。

 ライブドアの堀江貴文社長にはやり手の弁護士がついていたり、買収・提携の企業のなかに、ハイレベルな人材が潜んでいることがあります。以前の付き合いの人物の中には、個人で宇宙飛行に出かけようという人材も出ています。

 私は、そうした未知の分野が多い、ライブドアの堀江貴文社長に注目をしたいと思います。
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