4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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会派視察:福岡市博物館を訪れる②、収蔵品の金印、名槍日本号は本物展示2025.05.11記

視察

 2日3日の日程で福岡県田川市、柳川市、福岡市に会派視察で出向きました。会派視察:福岡市博物館を訪れる②、収蔵品の金印、名槍日本号は本物展示2025.05.11記を書きましたが、この文章は、<2025.05.10福岡市博物館を訪ねる①、「視察では金印や名槍日本号等に関する説明をそれぞれの担当の学芸員の方からいただく」の前述部分> の続きの文ですが、本来の冒頭部分に当たります。
 福岡市博物館は、福岡観光WEBの説明で次のように記述されています。一部、自分で加筆しました。
  平成2(1990)年10月に、地域の歴史と民俗を研究・展示する博物館として開館しました。日本列島の西の端にあり、ユーラシア大陸と朝鮮半島に近接する福岡。この地に住む人々は、古来、この国の誰もが知らなかった文化に最初に触れ、経験したことのない生産手段や経済活動を発展させ、遭遇したことのない脅威を克服し、豊かな都市生活を営み続けてきました。この博物館は、アジアとの人・もの・文化の交流がつくってきた特色ある歴史と、そこに生きる人々の暮らしをさまざまな形で発信しています。


 場所は、〒814-0001 福岡県福岡市早良区百道浜3-1-1で、福岡ドームのすぐ近くにあります。昔は、百道浜は70年前頃、海水浴場で貸しヨットもあり、小学生の時に乗せてもらったことがあります。
 さらに、福岡観光WEBの説明で次のように記述されています。
 古代から大陸との交流が盛んだった福岡ならではの資料を多数展示。目玉は志賀島で発見された国宝「金印」と、黒田節で有名な名鎗(めいそう ※名高いやり)「日本号」。体験学習室「みたいけんラボ」にはアジアのおもちゃや珍しい楽器、衣服、道具などがあり、自由に手に取ることができます。「金印レプリカ」などユニークなグッズが盛り沢山のミュージアムショップもあり、ゆっくり時間をかけて訪れたい施設です。
 展示の目玉品がレプリカでなく、本物が展示してあることが大きな特徴で、個人の撮影も手持ちカメラなどで可能です。博物館や美術館では、諸般の事情でレプリカが飾ってあったり、あるいは撮影ができなかったり、参観者には物足りないものですが、この福岡市博物館は優しい施設です。
 平成2(1990)年は、20「アジア太平洋都市宣言」制定 アジアマンス開幕となっています。
 それ以前の福岡市の博物館はどうなっていたか、私の記憶にもありません。よって、博物館はなかったのか、という疑問が起きますが、それより、この立派な博物館が新たな歴史事実を発見、検証をやっていただきたいと願っています。

 国宝の金印は、 福岡市博物館常時展示 国宝金印「漢委奴国王」 解説リーフレットの概要では、以下の趣旨で記されています。これは、学芸員の方から口頭説明の資料に手渡しされたものです。
総高 2.236cm(うち印台高 平均0.887cm)
印面平均長 一辺2.2347cm(後漢初期の一寸 10円玉の直径とほぼ同じ)
重さ 108.729g (10円玉約24個分)
材質 金:銀:銅=95.1:4.5:0.5(±0.5%)と記されています。
 プロフィールには、江戸時代の天明四年(西暦1784年)福岡市東区(現在表記)にある志賀島で農作業中に発見。福岡藩の学問所館長が金印弁という論文と発見地の地図を著している。
 金印の外観では、つまみ(钮)と文字を刻んだ印台でできている。つまみ(钮)は蛇をあしらっている旨が記されています。文面には、もっと特徴的なことが書かれています。大きさや形状から、漢の官印の規定に一致していると記載しています。「漢委奴国王」 の文字から、五つの文字で篆書体で彫られているとしています。印台には、小さな傷やくぼみがあるとも記している。
 中国の印章制度が記され、玉、金、銀、銅のランク、色分けした綬がランク別あることが記載されています。また。つまみ(钮)には、相手の国家の特徴を中国側の見方で分けていたことが記され、日本は蛇の文様で、それは南方を示していました。
 総合して、この金印は、金印紫綬で高位扱いているとみなしています。
 「漢委奴国王」 の読みに関して、委奴の読み方にいろいろあって、主流は、倭の奴国として、「かんのわになこくおう」としています。
 決して、断定をしないのが福岡市博物館(学芸員)の特徴でしょう。


 次に、金印の使い方と意味が書かれています。
 現在の印鑑は陽刻、文字の部分が凸で、当時の印は文字の部分を彫った陰刻と書かれています。当時は紙ではなく、木簡や竹簡が使われ、それらを結び合わせ、その結び目を粘土で封印したとありました。その封印は受取人以外は開けられない方法がとられていたことが記される方法で、「封泥」と呼ばれ、中国の遺跡、漢墓、朝鮮半島の城でも出土しているとしています。日本でも漢からの文書の封泥が出土する可能性がありますが、焼き物でないので、土と同化してしまい、発見は難しそうです。と記しています。

 この解説リーフレットには、金印時代の福岡に関して、記しています。中国との交流で、遺跡との比較をしています。

 なお、金印の行方ですが、福岡藩主であった黒田家に伝わり、受け継がれました。昭和53年(1978年)には、黒田家から福岡市に寄贈され福岡市美術館で所蔵・展示されます。そして平成2年(1990年)博物館開館時に移管し、今日に至っています。と記しています。
 そして最後に、この金印の正確な発見地、発見者、読み方には様々の異論があり、志賀島に出土した意味など謎も残っています。そんな背景を含めて福岡の文化財、国宝金印「漢委奴国王」に親しみを感じていただければ幸いです。
 これが、学芸員の方の最後の感想、呼びかけになっています。 

 名槍日本号は、 概要は、AI記述に、学芸員の方の話を加えました。
 「日本号」は、天下三名槍の一つで、福岡市博物館に所蔵されている名槍です。作者は不明ですが、室町時代後期に制作されたとされています。別名「呑み取りの槍」とも呼ばれ、母里友信が福島正則から酒呑み勝負で勝ち取ったという逸話で有名です。
詳細:天下三名槍:日本号は、「御手杵」と「蜻蛉切」と共に天下三名槍として知られています。なお、江戸時代中に「西の日本号、東の御手杵」と並び称された経緯で当初は、2大槍であったことを学芸員の方からお聞きしました。
逸話:黒田節の元となった逸話で、黒田家家臣の母里太兵衛(母里友信)が安芸国広島藩主(豊臣秀吉の家臣であった)福島正則と酒呑み勝負をして、日本号を勝ち取ったとされています。詳細説明の加筆は吉田つとむが書きました。
作風:大身槍で、全長は約321.5cm、刃長は約79.2cmです。
所蔵:福岡市博物館で展示されています。
別称:「呑み取りの槍」「日の本一の槍」とも呼ばれます。この名称は、母里太兵衛(母里友信)の剛勇さの話が基本になった逸話です。
まとめ:
「日本号」は、その逸話と歴史的な価値から、日本の名槍として広く知られています。
 こうした説明を受けました。それぞれに感じたことを別途、所感として記載します。

 「国宝金印」、「日本号」いずれも、レプリカの展示ではなく、本物、現物展示です。もちろん、ガラスケースの中に入っており、盗難予防は万全でしょう。ただし、国宝金印はとても人気があり、他館への貸し出しが多くなっています。
 今回も、大阪市立美術館のリニューアルオープンを記念した特別展「日本国宝展」(2025年4月26日(土)から6月15日(日))開催のメイン展示物の扱いを受けています。
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