4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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宮崎市のまちなか投資倍増プロジェクトについて2025.05.22

視察

 総務常任委員会視察で、県都、かつ、中核市の宮崎市を訪れました。
 宮崎市は、市制100周年、議会も100周年でした。
 市議会はわかりやすい市議会をモットーに議会の紹介を動画で行い、議長などが登場する。好評を博しており、マニュフェスト対象の優秀賞を得ているとのことでした。
 宮崎市の重要施策では、コンパクトシティ化がありますが、規制緩和、法定外、宮崎独自のものを目指しているというものでした。
 宮崎市は、多くの件で見られる県都一極集中がある一方で、それ自体も人口減少がみられ、とりわけ課題が大きいという意識がありました。

 事業の説明は、都市整備部まちづくり課の小倉課長補佐からお聞きしました。まず、「まちなか投資倍増プロジェクト」構想を組み立てるにあたり、学者など外部の有識者の意見を求めない方法で実施した、それは、既存の法、条例の範囲で都市の再編強化を図るものであり、それらを緩和利用する方法を利用して開発を計画したというものでした。

 この「まちなか投資倍増プロジェクト」は、3本柱である、容積率緩和、斜線規制緩和、固定資産税の軽減という方法がとられました。つまり、投資を促進する施策をワンパッケージで実行するというものでした。

  それは、現行の容積率緩和600% →1000%を目指したものであるそうですが、宮崎市の近くに宮崎空港があり、航空法(高さ制限)が厳しくなっていることの影響が大きかったというものでした。ちなみに、鹿児島市は空港が遠くにあり、高さ規制の要はなく、市内に空港があり、それがすぐ中心街に近くである福岡であるが、既存の高い構造物を利用した解釈を使い、旧来の高さ制限を崩して高度化を進めたのが福岡市であるとのことでした。なるほど、私が住んでいたころの福岡市内は厳しい高さ規制があって、私が東京に出た40年前頃は高い建物がありませんでしたが、今は高いビルがいくらでも建っています。*この日の自分の発言中に、この疑問が理解できたと述べさせせていただきました。

  容積率の緩和の実現は、以下の事項の積み増しができるというものでした。空間確保オープンスペースを民地に作る(人が集まる、路線価を上げる)、有効利用敷地の集約を図る、回遊の景観を作るというものでした。    

 認定面積の土地は、(行政施策)固定資産税と都市計画税が、10年間100%減免という大政策でした。
 つまり、この「まちなか投資倍増プロジェクト」は、他に、駐車場・駐輪場付帯義務の廃止(R5,4月実施済み)があり、駐車場・駐輪場が遊休しているものが少なからぬあるという調査結果をもとに、この施策が導入されたとのことでした。
 また、道路利用環境の向上、制度の導入、歩きたくなる指導整備、ほこみち制度などの導入、連携が掲げられていました。車道を狭くして歩道を広げる方法、放置自動車をなくすために中心街車道の一部を、貨物車の荷捌場にして、車の駐車違反をなくし、車の通行をスムーズにさせる事業方法は町田市でも中心市街地の一部でも取り組まれているものでした。

 容積率の緩和では、通りの一連の高さを保持する目標が立っておられます。この観点には、斜線制限の緩和にも同じ考えが投入されていると思えました。統一した都市景観を保持する目的があるのでしょう。

  固定資産税の軽減の課題では 宮崎市においては土地所有の集約が進んでいない(戦前から同じ区画)、土地の扱いでは、当初、駐車場の布置義務がビルにはあり、駐車場や駐輪場の義務の条例化したいたというものでした。その後、令和2年に駐車場が 飽和状態ではないと調査で分かり、その布置義務を撤廃したというものでした。図面を提示して、目的地の外で駐車場は可能という考え方もありました。あるいは、無料の駐車場の有料化を図り、合理的なあり方で駐車場の有効利用を図り、新たに容積率を緩和したビルを建てる「空き地」を作り出すということでしょう。

 以下は、私が行った質問応答の内容です。

1.橘通りと宮崎駅界隈は街の様相が異なるようにうかがえるが、考えは

   当初、スモール化による中心街の再生を目指した構想したが、関係意見で橘通と宮崎駅エリアを一体に見立て、エリアを拡大して、まちづくりの拡大を図ったものになっていました。

  橘通は縦のラインで車道27、歩道11mの規模であり、現行のクスノキを利用する景観を生かして、建物の高さを均一にしたい(突出した高さのものは求めない)ということでした。規制緩和ではあっても、街の格調を大事にしている感がありました。
  宮崎駅から伸びる高千穂通りは宮崎市の横のラインとなっているが、 県が指定する宮崎駅停車場通りの考え方があり、その通りでは、歩行道通りの開発を進めて、人の回遊性を高め、中心部が歩きたい空間になることを求めているとのことでした。

2.また、中心市街地に含まれない宮崎駅の東西を一体にした考えは、このまちなか投資倍増エリアで初めて出てきた考えか。
  それまでのビジョンには入っていないか、すなわち、今回の計画で変わったを問いました。
  答弁では、東側も含め225ヘクタールに変更し、宮崎駅の両側に拡張したものに変わったという答弁でした。

 なお、以下は吉田つとむと宮崎市との関係、
 なお、吉田つとむはこの橘通りをよく知っていました。
 今から50年前頃、デパートが全盛期でした。私が勤めていた博多人形の問屋は、この場にあった橘百貨店と取引がありました。その橘百貨店は地場の名門百貨店であり、隣の都城市にも橘屋百貨店の支店を出店する勢いでした。そこに、オイルショックが訪れ、一挙に経営が傾き、ほどなく倒産する事態が起きました。私は、そのために橘屋百貨店の債権者会議に出ることになりました。数百人が参加したものですが、私を含め、大半が烏合の衆に等しい営業マン(倒産の知識がない)や総務担当者(想像を絶する倒産であった)会場に訪れました。会場は、開始早々から「総会屋」が仕切り、弁済の話もその見解を見事に語り、彼らに事態を一任する以外に道はありませんでした。今になれば、自分自身がその中に入って、その再建事業に携わる、債券回収の幅を増やす能力を発揮できたと再考する次第でした。結果は、売掛金の20%ほどが5年(ほど)払いで大きな損害を被ったものでした。

 また、橘屋百貨店は都城店を華々しく出店し、私はそのオープニングにかかわりましたが、橘屋は他の進出者との競合に耐ええず、撤退の道をたどりましたが、それは、旭化成グループの旭化成サービスがその営業を受け継ぎ、私がいた会社は、旭化成サービスと取引があったことで、その後も旧橘屋百貨店都城店の後店である店舗を含めて旭化成サービスと取引を続けました。他方の本拠地の宮崎市では、橘屋百貨店の引継ぎ企業とは取引をしませんでした。その橘百貨店は、その名前の一部を残し、イオン系店舗となり、現在はドン・キホーテに変わっていました。

 人生の余談ですが、その後、私がいた会社自体が閉業をしました。閉業ですので、倒産とは異なり、会社に借金があったわけではなく、必要な支払いを済ませ、他社に経営(権)を譲ったものです 務めていた人材は解雇でした。私はその後しばらく、いろいろ考えましたが、それを機にその博多人形の業界を去りました。併せて、卸売り(問屋)の世界ともお別れでした。その後、印刷屋(製造業)、次いで、土木建設資機材の会社(土木企業に資機材を販売する小売企業)を入り夢中で営業職として働きました。併せて、職業ではありませんが、新興政党の創造運動の活動に励んでいました。その結果、その政党の初の国会議員が誕生し、秘書と政党のスタッフが必要となり、その土木建設資機材の会社を辞め、私自身が上京して、参議院議員第一秘書兼政党事務局員にスカウトされました。その政党事務局は、もう一人の一般事務員と私の二人で運営していました。今は政党交付金が支出され、その資金が党運営に充てられているでしょうが、当時の実態は悲惨な状況でしのいでいました。後略。
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