ブリジストンは、今ではタイヤ事業で世界のトップ企業になっていますが、福岡県久留米市で盛んになったゴム産業(地下足袋、運動靴)を出自と誕生してきたことははるかに過去の話になっています。

もとはと言えば、石橋家が仕立物業から、兄と一緒に事業を受け継ぎ、足袋専業とし、従業員の徒弟制度を無くし、賃金制度を導入しています。それは、石橋正二郎が商業学校を卒業してすぐのことであり、18歳の時です。また、ブリジストンの名称は、ブリッジ+ストーンの裏返しが名称の発端です。22歳当時、九州初の自動車を購入して、足袋の宣伝に使用したということです。
次いで、25歳当時、足袋の寸法で値段を決めるのはなく、サイズに関係なく20銭均一料金を採用して、「アサヒ足袋」としたのが人気を博したもとであったそうです。また、30歳を前にして、名称を日本足袋(株)に変更しています。
石橋正二郎は、35歳当時、地下足袋を開発していますが、足袋の底をゴムにして耐久力を持たせ、泥や水気が入りにくくしたものでした。農作業を始めとする野外作業に適し、爆発的に売れていたとのことでした。併せて、布製ゴム底靴のズック靴も開発し、成功しています。アサヒ靴というブランドの運動靴(スニーカー)は、戦後も続いています。35歳を超して、石橋正二郎は、工場を高層化し、ベルトコンベアを導入したとされています。

石橋正二郎は、40歳を超した時点で国産タイヤ第1号を作り、翌年にはブリッジストーンタイヤ(株)を創立し、社長に就任しています。
石橋正二郎は、45歳の時にブリジストン久留米工場を竣工しています。

中央付近に見えるのは、世界一サイズのタイヤ
片方で、石橋正二郎は、50歳を前にして、日本足袋(株)を日本ゴム(株)に変更しています。ようやくの感があります。
それが全国レベルの名称にふさわしい企業名となって日本ゴムという名称になっているのですが。アサヒ靴というブランドの運動靴(スニーカー)を作っていました。私が久留米市の近くに住んでいたことで、小学校の社会科見学で、工場見学に行ったことがありました。また、ライバルは、日華ゴムと言い、月星ゴムの運動靴を造っていました。戦前から、国内だけでなく、海外に進出する企業となっていたものです。
私はそのアサヒ靴を履いていましたが、月星ゴムの運動靴の方がしゃれた感があり、そのバスケットシューズは高校生あたりに人気が高いものでした。

バスの保有台数を、神奈中と争ってきた、地元の西鉄バス
その後数十年、国内の他のライバルが成長した(アシックス)こと、戦前などは幅広く中国や東南アジアに輸出していたものが、海外メーカーの発展が目立ち、また、アメリカのブランドに人気が集中したりして、マーケットが小さくなり、今ではそれらの久留米市の運動靴製造メーカーは、ひっそりした事業規模になっています。企業の栄枯盛衰の見本のように見えるものです。
石橋文化センター内の図書館にあった年表を参考に記し、自分の子どもの頃の体験を書き加えました。
写真は、JR久留米駅そばの来福軒にかけてあったものを写しました。
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