モラロジー道徳教育財団(広池千九郎氏が提唱した道徳科学を基本にした団体で、来年創立100周年を迎える)の町田における支部である「町田モラロジー」の会合に出席しました。この会は、私が初当選時以来お世話になっていた山下七郎元市議会議員のお勧めで長く参加しているものです。とはいえ、熱心な活動家に入るものではありません。一会員です。
この日は取り寄せの弁当をいただいた後、物故者について各自がお話をする機会でした。
お昼の時間には、木目田英男市議会議員(議長)が参加していましたが、先に退席しました。後から入った私は特に挨拶はしませんでした。
その後、参加者が写真を持ち寄り、(両親の)物故者について語りました。思い出を語る形式であり、十数人の参加者でごく一部の参加者を除き、参加世代的に両親が亡くなっている人が大半でした。
この時間には、吉田つとむ以外に、松岡みゆき市議会議員、元都議会議員(市長候補で落選した)吉原修氏の高梨秘書さんも参加しました。
出席者から引揚の家族の話がありました。私と同じ、両親が朝鮮から引き揚げた方がありました。また、出身地、ルーツが同じ人が目立ち、父の出身地の福井市の方がありました。母方の筑後地方の話でした。そのことがあって、私は結婚時に自分の本籍地をその福井市の住所にしました。母は福岡県筑後地方の出身で、今のみやま市(旧瀬高町)に両親が4人の子どもを連れて引き揚げてきたものですが、兄弟では私は年齢的に引き揚げ後に生まれれいます。
当時の引揚者は大半が全財産を失って、あるいは当地に残して引き揚げました。私の家族も同様でずいぶん苦労をしていました。特に、父は戦後にやる気が起きなかったのか、全く働いていませんでした。病弱ぶっていましたが、よくさなか釣りに出かけていました。子ども心に、働けるではないか、母親みたいに身を粉にして働けばよいではないかと思っていましたが、私が小学3年の5月に亡くなりました。確かに、体が弱くなっていたのでしょう。
母は、乳母車を使った行商をしていました。広い古い家を借りていたので養鶏をやっていた時もありました。地域に風呂を持つ家がほとんどなく大きな共同風呂がありました。その共同風呂の釜焚きや清掃を母が一人でしていたのが強く頭に残っています。それ以前は、和紙の卸販売をしていたようですが、順次衰退していってのでしょう。あまり、その商売が続いた記憶がほとんどありません。朝鮮では、薬屋を営み繁盛していたようですが、私は世代的にその恩恵に浴する機会はありませんでした。

母は、死ぬまで外地から持ち帰って「国債」のような紙類を大事にしていましたが、国家が発行する国債に対して、強い嫌悪感を持っていました。確かに、戦前の国債はただの紙切れになっていました。
その引き揚げ者の中で成功した人(成功者)の話をたびたびしていました。そのみやま市にあるタカ食品工業株式会社で学校給食用の個食ジャムを作り、事業家になった人物のことですが、自分の家が困窮していましたが、一度も訪ねたことが無いようでした。人に頭を下げて、仕事をもらうことを父が嫌っていたのでしょう。父母がそのタカ食品工業株式会社を頼ることもありませんでした。そうしたこともあってか、兄弟はそれぞれに生きていくことが大半でした。総じて、両親を見て思ったのは、苦労を背負って戦後を生きていたと思います。その間の一部を話しました。
#町田モラロジー,#亡くなった親を語る場,#物故者,#縁が近い人が多かった,#引き揚げ,#モラロジー道徳教育財団,#成功者,#タカ食品工業株式会社,#町田市議会議員,#吉田つとむ,
吉田つとむHP 町田市議会議員 吉田つとむのブログ



コメント