本日はBUTTON MUSEUMボタンの博物館を初めて訪れました。場所は日本橋浜町というところにあり、江戸時代は武家屋敷であったようです。近くには馬喰横山町の繊維問屋街があり、多数の卸売の会社が軒を連ねた地域に縁する場所です。そこに、 ボタンのトップメーカーであるアイリス株式会社のボタン博物館がありました。ボタンの歴史は古く、BC40世紀のエジプトや古代のローマの衣装に遡るとのことでした。当時の衣装、トーガを肩で留めるフィビュラアをボタンの起源としているようでした。

それから王侯貴族の服に、オリジナルのボタンが使われ、フランス革命で一般人がボタンを使う時代が訪れ、大量生産品のボタンに変わっていったとのことでした。それが現在ではその材料にプラスチックやABS樹脂が持ちいられるように変わり、大半の洋服に使われる部材になりました。

この日の見学会を主催したのは、NPO法人ユニバーサルファッション協会(吉田つとむは理事の一人)で、私もインターン生2名を同行して参加しました。展示品でルイ王朝時代の飾りボタンをあしらったドレスやココシャネルが作った(現代にも通用しそうな)ツーピースが飾ってありました。他方では、明治時代早々の軍服(海軍)には多数のボタンが使われていました。驚いたのは、タブレット写真で見せていただいたボタンには、徳川の葵の御紋をあしらったものがありました。鳥羽伏見の戦いの時代に将軍家が着ていた軍服はこのボタンが使われていたのでしょう。



私が気になったボタンは、薩摩焼のボタンでした。日本が最初に参加した1867年パリ万博(第2回万博)では、江戸幕府(日本大君政府)に加え、薩摩藩(薩摩琉球国太守政府)、佐賀藩(肥前大守政府)の3代表がそれぞれに参加しています。薩摩藩や佐賀藩は江戸幕府を日本に代表と認めず、かつ薩摩藩は琉球王国を支配していたと主張と実力があったのでしょう。

その薩摩は、貿易において薩摩焼の焼き物を輸出しますが、その中に薩摩焼のボタンも輸出していたそうです。陶磁器の隙間に薩摩焼製ボタンの詰め込み梱包して出荷したというものです。日本では全く使われないボタンを輸出品として鹿児島で製造し、薩摩藩の収入としたものです。薩摩藩は、当時から財政のことを考えた人材を抱えていたようです。ボタンの博物館の見学を通じて、列強が日本に迫る中、日本国内には外国貿易を意図する経済人や人材を有していたことが知れました。思いがけない勉強の機会を得ました。

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[…] 二人のインターン生を同行し、ボタンのトップメーカーである株式会社アイリスのボタンの博物館を県が宇したものです。それぞれがどのようなものに注目するか、比較してください。 株式会社アイリスのボタンの博物館を見学する2025.08.30記 […]