4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

ビジュアルサイト

(第1回)戦後の引き揚げと自分の親と兄弟について2025.07.05

生活一般
父方の戸籍

 私の両親は外地からの引揚者で、(第二次世界大戦の)敗戦後、今の韓国釜山市から佐賀県唐津港経由で、福岡県山門郡東山村唐尾(正式委はみやま市瀬高町小田唐尾と言うらしい)という所に近くの親せき(現在の福岡県八女市)を頼って帰ってきたそうです。両親が子どもの時に、父は福井県福井市から当時日本領になっていた韓国(当時の朝鮮)にその親に連れられて移住し、母は福岡県山門郡東山村広瀬(小田唐尾の隣の集落)からその親に連れられ、朝鮮の同じ慶尚南道釜山地域に移住したそうです。*詳細を聞いていないが、他の兄弟は私より上の年齢で、それぞれが日本が併合していた朝鮮領域(釜山府の同じ町の同番地)で生まれており、当時の生活を懐かしむ話を何度も聞かされました。かなり、羽振りがよかったようでした。写真を見せられたことがあります。また、私が最近になって、自分以外の親兄弟の戸籍書類が必要になり、取り寄せた資料の戸籍謄本類で初めて見ています。なお、吉田つとむは自分が結婚する際に、父の本籍地(福井県福井市)を自分の本籍地にしました。結婚式は福岡市でしたが、結婚の届け出はすでに東京住まいに自分がなっていたことで、東京都板橋区役所に届け出ました。
 なお、両親はもちろん、コロナ期が終わる頃までに兄弟全員亡くなりました。
 外地(現材の韓国釜山市)では、薬屋をやっていたそうです。かなり成功していたようで、父は友人らと麻雀にいそしむ時間がかなりあったようです。人が家に来て、泊まり込みでやっていたと母から聞いています。
 また、父は卓球が趣味で、東京で開かれる国体のような大会にも来ていたような写真を見た記憶があります。兄も卓球をやっていた時代がありましたが、父ほどはやっていなかったようでした。
 兄弟の中には、子どもの時に亡くなったものもいます。戸籍や話の中で兄弟から出ていましたが、生きたものが精いっぱいに自分たちの生活を作っていくのが必死の時代であったようでした。


 引揚では、母や家族が先に帰り、父が後から帰ってきたということでした。引き揚げでは、母方の上述のように、福岡県内に戻ってきています。柳行李(やなぎこおり)という、取っ手が無いトランクの形状のものに生活用品をいっぱい詰め込んで帰ってきたようです。子どもも自分が持てるだけのものを持って帰ってきたようです。母親が大事に持って帰り、それ以降も大事にしていたものに「国債」に相当するようなものの書類を大事にしまっていました。子ども心にも、「こんなもにがなんになるの」と母親に言っていましたが、最後まで親はそれを持ち続けていました。自分が国に尽くした証の意味もあったのかもしれません。

 母の戸籍(母の親の戸籍簿のうち、母にかかわる)
 住まいは、自力で1軒屋を借り、暮らしていました。私は、その東山村大字小田(字 唐尾)で昭和23年に生まれ、父が亡くなる小学3年生の5月までそこに住んでいました。私は兄弟の歳が離れており、上のものは他に就職して自力でそれぞれに移り住んでいきました。小学校の頃は父が入院し、母と二人で暮らしていました。事実として、父が金になる仕事をした姿を一度も見たことがありませんでした。今考えても、母に対してそんな尊大な態度が取れた理由が分かりません。母は、亡くなる直前まで働いていました。それも、武田鉄矢氏の母親などよりはるかに働きものでした。昔の言葉で、身を粉にして働いて一生を終えました。私が選挙に出たことを誇りにしてくれていました。←落選した参議院議員選挙(比例区)、衆議院議員選挙、市議会議員選挙を、遠くて見てくれていました。親族に政治に進んだものが誰もいなかったので、父がかけ事が好きだったので、私のことを真面目一筋と思っていたようでした。私が市議会議選挙に初当選の前の年に亡くなりました。それでも母は自分が苦労していたとは一言も言わない人でした。(続きは、引き揚げの親の仕事についてを予定)
 #引揚者,#外地,#朝鮮釜山,#両親,#佐賀県唐津港,#福岡県山門郡東山村唐尾,#福井県福井市,#町田市議会議員,#吉田つとむ,
 吉田つとむHP       町田市議会議員 吉田つとむのブログ

コメント

  1. […] (第1回)戦後の引き揚げと自分の親と兄弟について2025.07.05 吉田つとむの親兄弟とその引き揚げについて書きました。 […]

  2. […]  もとより、「引き揚げ」を私が知るものではないですが、ほぼ全部の人が手荷物(柳行李)1個で、日本が併合、占領、植民地化していた外地から命からがら内地(日本)に戻ってきたそうです。私の家族は、両親も、兄弟も全員が引き揚げでした。 他には、「久留米市の石橋文化センターで美術家の友情を学ぶ」の記事は、青木繁と坂本繁二郎の交流とその作品収集にあたった石橋正二郎ブリジストン社長の関係について記しました。 […]

タイトルとURLをコピーしました