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若者育成の街・交通文化都市

吉田つとむの経歴 個別記載 3profile



 平成6年選挙時

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吉田つとむが関心を持つこと(作成中)
(1)政治的な関心

<市政への関心の時代>

 過去には、政治的には情報公開運動に早くからかかわり、市議に当選する以前(市議選挙に立候補して、次点で落選)から情報公開法の制定を求める運動に参加した。政治資金調査、交際費使途調査にいち早く取り組む。町田市には、最初に情報公開請求を行った。その際、市長の交際費使途の公開を求め、一部公開を実現した。市議に当選後、東京都や一部事務組合への情報公開請求、監査請求にも取り組み、無駄のない政治を追求してきた。

 町田市議に当選後は、市政のサラリーマン施策導入、開かれた入札方法の提案、具体的な入札の問題点の改善、行政情報のネット公開化、無駄を省くための行政の電子化推進、電子投票の導入、子ども施策の推進、開かれた文化施設の運営、震災関係で現地視察・ボランティア体験に基づく復旧施策の提案、ごみ減量では収集作業の体験に基づく提案、産業(特産、名産、インキュベート施策)施策など、多岐にわたる分野の質問・提案を、任期中の一般質問の全機会で行った。

 市議会の改革では開かれた議会の実現に向け、全力で取り組んできた。他の東京都内の議会に先駆け、議会のネット中継をいち早く提唱した。導入にはかなりの時間を要したが、大方の議員の賛同を得て、オンデマンド方式のネット中継を実現した。オンデマンド方式のネット公開では、都内では世田谷区議会に続いて2番目、市部議会では最初の導入であった。

また、議会の公開に関して、TVカメラの導入、傍聴者への議事資料の配布、視察報告書の個人別記載などを次々に提案した、また、すでに領収書添付されていた政務調査費の使途では、公開方法をさらに広げた。

 市議会は、身近な住民の皆さんと気さくに接する立場にあり、市政に限らず、実に多様なテーマが存在した。


<都政への関心>

 元来、平成6年に市議会議員に当選する以前、前の市議選選挙に落選して以降、世田谷区選出の阿部俊之都議会議員の秘書になりました。この時期は、都庁が新宿副都心に移転をする前後でした。阿部都議は新庁舎で一般質問に立ちました。

 都政では、鈴木俊一都知事がその経験豊かな行政手腕で連続当選を果たしていました。他方で、東京湾の開発を巡って過大な税金の投入が行われました。そのチェックが甘すぎ、鈴木都知事の財政再建能力にも限界があることが露見しました。

 地元では中小企業経営者の皆さんとの関係が多くなりました。地道に経営努力を重ねる人々と政治の関係を維持すること、癒着に陥らないよう務める研鑽を重ねました。

<国政への関心の時代>


(2)社会的な関心

<原体験>

 高校生時代には、広島・長崎の原水爆禁止世界大会にいち早く参加し、世界平和に関心を持った。社会人になってからは、水俣病患者の活動支援を長く行った。サラリーマン生活を送りながらも、様々の公害問題に関心を持ち、今で言う、ボランティア活動に熱中していた。


<サラリーマンについて>

 サラリーマン時代の際立った活動では、日本納税者連合、全国サラリーマン同盟に参加し、サラリーマンの自己意識を高める活動に取り組んできた。この運動を通じて、参議院選挙に比例代表が初めて導入された際、サラリーマン新党の結成につながった。この運動には、名簿搭載者(候補者)として全国を遊説して回った。サラリーマンの政治参加がこれによっって現実性を帯びるものになった。

 サラリーマンとしては、その大半を営業職として務めた。特に、最初の仕事先であった博多人形店は、卸売業を中心に、製造、小売業を合わせてやっていたことで、民間企業のたくましさと多様な流通業の中で働く人と話すことができた。若干であるが、その会社は博多人形の輸出もやっており、貿易の一端にも関わることが出来たことは今も懐かしい。

 自分のサラリーマン時代を通じて、いわゆる労働組合に加入した時期がない。理由は、組合もないような零細企業にしか入っていなかったということがあり、組織に属しない、組織を持たない人や層に親近感を持ち、その生活感覚が今の基盤になっている。

<消費生活>


震災


ユニバーサルファッション


ネット交流


(3)文化的な関心


(美術、工芸分野)

 サラリーマン時代は、10年以上の間、博多人形の販売会社に営業担当として務め、各種の人形や工芸品を日常的に見てきた。関連して、絵画、彫像、オブジェなどの美術品、陶芸品などを幅広く鑑賞する機会にも恵まれていた。

 町田市に越してきてからは、「町田市国際版画美術館 友の会」に加入し、日頃から、各種の展示物を見る機会を得ている。

 近年では、新潟県十日町市などで開催された「越後妻有 大地の芸術祭」を見学し、感動した。東京では市部を含めた多摩地域は、こうした大地の芸術祭にふさわしい土地柄であろうと考える。住民が一体になった芸術運動に関心を持ち、都政の文化施策として独自に提唱したい。

 (音楽)

 自分が出来るものは皆無だが、音楽が盛んでライブハウスが多い福岡にいた関係で、フォークソングやロック音楽は日常生活に溶け込む環境にあった。

 町田に来てからは、地元の愛好家が行うシャンソンコンサートを鑑賞する。

 また、身近な知人に音楽家が多くあり、軽音楽バンド、ブラスバンド、作曲家・指揮者、演歌歌手との交流が広く、演奏会やコンサート、あるいはショーに出向く機会に恵まれている。

 特記すべき知人は、ロカビリー歌手として名高い山下敬二郎氏と交流がある。長い音楽生活を聞き、その奥行きを知る。

 一方で、近隣の中学・高校の合唱祭、吹奏楽部や軽音楽部の演奏会をたびたび鑑賞する。

 さらには、いくつもの太鼓のチームの演奏を楽しんでいる。直近からは、琴や尺八演奏も鑑賞する機会を持っている。

(演劇)

 福岡に住んでいた高校時代には、たまたま演劇部に席を置いた関係で、今のその種の案内を受ける。先輩には米倉斉加年(元劇団 民芸)、後輩には森口博子がいた。そうしたことが縁で、今ではその二人が出演する舞台の観劇券を購入する。

 (芸能)



(4)スポーツへの関心

 高校時代には山岳部に所属していたが、この部は名称と違って、やさしきワンゲル部の雰囲気であった。夜間の登山にたびたび出かけていた。

以前に福岡に住んでいた当時、30歳代サラリーマン時代には、小型ヨット(ディンギー)を持ち、休日にはたびたび海になじんでいた。素人参加のレースにもたびたび加わり、博多湾内を廻っていた。たまに、友人のクルーザーにも乗り、玄界灘に出たこともある。

 30歳中盤になって東京に出てきてからは、そうしたゆとりがほとんどない時期が続いた。

今のスポーツ体験は、月に一度の回数で友人らとボウリングに出向く。以前は、ボウリング大会、ゴルフ大会を毎年開催していたが、近年では主催行事に至っていない。なお、自分の成績ははるか並以下の水準。また、近くのスイミングクラブのメンバーに入るも、3日坊主の状態で、ただいま休眠会員扱いである。

他方で、町田市の総合体育館が近隣にある関係で、スポーツ・武道大会の観戦はたびたび行っている。卓球、バレーボウル、バトミントンなどから柔道、拳法、合気道、空手など幅広く観戦する。

また、少年の野球、サッカーでは日頃の練習状況を見学している。特に、中学・高校の部活見学は欠かさない。

TVの観戦では、マラソン・駅伝・アメフト・高校野球・高校サッカーを主体に置く。福岡にいた時代は、朝日国際マラソン、平和台球場の西鉄ライオンズ、大相撲九州場所の部屋稽古に夢中になっていた。これらの舞台が全て徒歩圏にあって、恵まれていた。 

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