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町田市議会議員 吉田つとむ

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青春篇(人生の最大のモテ期) 苦節編 

 高校時代は生活苦節時代でした。特に、東京オリンピックの最中から極貧
 高校時代の資料で、日本育英会の手帳が出てきました。記憶ははっきりしています。中学時代は無知で奨学金制度をあることを知りませんでした。本来は中学時代に知っておれば、それを申請して、高校入学と同時に日本育英会の奨学生に認めれていたでしょう。

 高校に入学して間もなく、参考者はもちろん、教材の一部も不足している姿に、一人の先生(数学担当:大賀先生)が気づき、数学の参考者を数種類渡してくれました。そうして、日本奨学会の奨学金をもらう(厳密には借りる)方法があることを教えてくれました。それから手続き書類を自分で書きあげ、学校の事務室に提出し、この時期の昭和39年10月21日に採用通知を受けたものです。


 この奨学金手続きを担任には告げず、親にも十分説明せず、数学教師の大賀先生のみに報告感謝し、これでなんとか高校生活を送ることができました。


 奨学金を受け取ることが出来るのは大変難しいことだと、学校当局から何度も諭されました。今の時代とはまるで環境が変わっていたのでしょう。ただし、他には自分が貧しいことは悟られないようにふるまっていました。理由は単なる幼稚性で、他に負けまいとしたに過ぎなかかったのでしょう。
 連帯保証人をどうしたか記憶にありません。この数学教師であったかも知れません。自分の恩義感の薄さを反省しています。おそらく、別の方法を取ったのでしょう。


 高校卒業後、直ぐに就職しています。厳密には、授業が終わった2月頃には、仕事に行っていました。ただし、この頃の私は思想的には先鋭的でしたが、自分のことには無知でした。収入を得るすべもあまり知らず、親の縁で地元の博多人形を卸販売する個人商店(直ぐに、有限会社となる)に就業し、給料が出だすと、この奨学金の返済が始まりました。当時は、どの様な払い込み方法を取っていたかわかりません。銀行引き落としは無かった、ただし、現金書き留めでも無かったと思います。


 もちろん、自分がもらった(借りた)奨学金は、就職後、毎月きちんと支払い、定められた期間で全額払っています。日本育英会の文書で、次の世代に受け継がれていくと何度も聞かれました。正しい話だと納得していました。
 

<吉田つとむ 発見動画チャンネル 作品>

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