この文章は、「輪島塗の将来についての所感(1輪島塗の食器などの日用品と、2漆芸)2025.04.14」https://yoshidaben.jp/wp/2025/04/14/ の続きになります。
前回の記載では、伝統産業の輪島塗が産業として衰退してきたことを、事業所数、就業人口、生産高について資料から見てきました。また、自分がいた伝統産業の博多人形の業界と企業が衰退していく様を体験的に過ごしていく中で見てきました。
<博多人形と博多産品の盛衰>

博多人形の銘店(人形 ごとう)は、今もずっとその姿を現している。
ここで、博多を追記的に書くならば、私が博多人形業界に就職した頃は、博多織という帯を中心とした絹織物の織物業界が天下でした。その帯の主流は献上柄と称され、帯の細い横縞が特徴で、締めに強く、男性の帯にも、女性にも人気が高ったものです。特に、粋な女性に人気を博していました。今も一部の世界では人気が高いのですが、博多織と博多織の業界が衰退し、博多人形と博多人形界が興隆する産業になっていきました。
その頃、博多ラーメンがいつの間には全国区になっていました。当初は魚市場があった長浜が本拠で、博多では長浜ラーメンというローカル名の名前で呼んでいましたが、豚骨スープを売りにする博多ラーメンが中洲の屋台だけでなく、全国で店舗を見ることになりましたし、博多ラーメン店の名称を随所で見ることができます。本来は、博多はうどんが本場であり、僧が中国からその製麺技術と一緒にもたらしたと伝えられています。
その博多ラーマンに少し遅れたと思いますが、博多明太子が中洲から福岡空港にも進出することで、全国に知れることになり、ご飯と一緒に食べたり、スパゲティー麺と絡めることで一般料理の中に広まっていきました。そのうち、明太子の製造企業は大企業になっていきました。当時の情景からは、考えられませんでした。
そのうち、「もつ鍋」を名物として売る人が現れました。伝統的な人たちには信じがたいことでしたが、製造者は創造者です。商売の興隆衰退に順は、前期の博多織、博多人形、後期の博多ラーメン、博多明太子、さらにその横道にもつ鍋が派生しています。博多人の中で、次々と牽引者が代わっていきました。それを博多商人は受容してきました。
不易流行という言葉があり、業界の顔を変えながら次々と流行りを見せてくれますが、博多商人の特徴でしょう。
ただし、絶滅危惧種の特徴は、その全部が絶滅するのではなく、その中で個性を発揮し得るものは一部にその存在を示しながら、生き続けるのが第二の特徴ではないでしょうか。それは、博多織や博多人形の世界でも静かに本物は生き続けています。

<輪島塗にどのような未来があるか>
そのことから比して、高い漆塗の技術を持った輪島の事ゆえ、衰退していくことに未練は持たず、新しい分野を開拓していくことに、その技術が生かされている来るでしょう。いくばくかの工芸美術品を編み出しても、その成功者の工房は限られます。要は一般大衆に愛用されることが肝心で、以下の家屋の様相の中で、家族の食事のあり様において、汁椀(カップ)と皿と大皿、箸や匙(スプーン)、フォークなどにも持ち入れられるデザインや色や細工が必要とされるのではないでしょうか。
ネットの世界では、ひろゆき氏が、輪島塗の芯漆という技法の製品づくりをする人を支援しようとクラウドファンディングを推進しているそうです。自身でもその作品を購入した話をSNSで発信しています。それはそれで結構なことだと思いますが、そこで支援の対象となるのは業界の数人とその工房の話しです。
<就業者の生活がなりたつ収入が確保されること>
肝要なことは、就業することで相応の収入があること、トップクラスの人はそれに見合った収入を得られること、一定の期間、その分野で必死で努力したら、大企業の就業者や地方公務員と同等の賃金や報酬を手にすることができることが必要です。人の就業が相応の収入を得られることで、その業界に人が定着し、人が集まることができるものです。それができない産業、業界はそれに集まっていた人々が一定以上の豊かさを確保されないままに至り、それが放置されると、絶滅する以外に道はないものであり、数々の産業分野でその盛衰を見てきたものです。
これを機に、輪島塗の産業としての成り立ちに関心を寄せていきたいと思っています。
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