最近のニュースで、学生の修士論文を担当の教授が自分の名前で発表し、学内の処分にあったというものがありました。ネットの書き込みでは、とんでもないというものから、修士論文というものは、教授が手取り足取りして学生に作成させたもので、実質教授が自分の論文として発表することにさほど異論をはさまないとする立場の意見までありました。
私は学者というようなえらい立場ではないのですが、自分が「先生」の役目を学生に対して行う場合がありますので、果たして学生の文章と、自分のかかわりはどのようにものでしょうか。できるだけ、具体的に記載したいと思います。
まず、これまで20年以上のインターンシップを行っており、文系・理系の比率ですが、やはりというか、文系が多いのですが、理系もいます。この間、いわゆる理系女子を散見します。学年は、1年から始まり、2.3年生が多くなっています。また、男女ともに参加していますが、女子が圧倒的に多くなっています。
さて、そうした中で、大半の学生は、参加した回数のレポートを提出していますが、途中でレポートの提出が切れてしまったものがあります。それを催促することになりますが、インターンの参加を重ねるケースもありますが、いろいろ手配をして企画した日程ですので、相手を訪問した際など、その部分が欠けてしまうと不自然な感じになったり、相手から見ると自分のところの対応が悪かったかなと思われます。主催者としては、催促を重ねることになりますが、学生は(それが必須でないこともあって)止める気持ちになって連絡をしてこなくなる時があります。それで打ち切る以外の方法はありません。
思い返してみると、複数人が参加したインターンシップでは、毎回レポートを出す学生と全く出さなかった学生もいました。途中でそれを私が指摘しても、言い訳が上手でずっと参加した学生もいます。本来は、もっと厳しくするべきだったと思いますが、まじめに報告を提出する学生には、「それは自分のためにやっているのだよ」と言い続けるだけでした。時間が経過して、そのレポートを基準に考えると、後続の参加者は、それを見て、自分はどのような点に着眼するべきか、どのようなところや人に会いたいかを考え、インターンシップのプログラム設定を求めることになります。
インターン生の中には、レポートを書くのが苦手な学生がいます。見たいところ、会いたい人は様々にあっても、レポートが滞てしまう。そうしているうちに、どのような研修であったかも完全には思い出せなくなってしまう。そうした学生もいました。それでも、研修のプログラムに不満はなさそうで、私は、レポート作成に不本意に、いや、フレンドリーに手助けをしたことがあります。本質的には、私が(ストーリーを)書いたに近い場合もごくまれにありました。それでも、参加回数が多いものでは、お互いに協力し合う意識が分かり合えるものです。その分、体が丈夫、気力も衰えず、明るい顔で、一つぐらいは苦手があるだろうという思いで続けました。
話は変わって、一度、レポートの著作権を言い出されたことがあります。ネットに掲載のように、作成者の氏名を書いていますので、私が書いたと主張しているわけではありません。その文章を本人がどこまで使う、発表するのであれば、どれは私に断らずとも自由だと思っています。しかし、私のインターンシップに参加し、その体験記用に文章を提出し、そのことを理解して掲載したものをそこから削除して取り除いてくれと言われると、それはできないと返答しました。
元インターン生と縁が切れたもの、あるいは縁が遠くなってしまったケースも多々ありますが、久しぶりに会ったり、遭遇した場合にとても親しく話しかけてくることが最もうれしいことの一つです。
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吉田つとむHP 前町田市議会議員 吉田つとむのブログ
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