4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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頭を使い、体を動かし、住民に選出された責務を果たすのが、分断社会の議員の姿2020.12.22

所感・つぶやき
清渓セミナーと言う超党派議員の研修会の実行委員の仲間が町田市議会に集まってくれました。

 東京都東村山市議会(定数25)は、市議会基本条例の中で、「1人会派を認めない」とする条項を含む改正案が多数で可決されたというものです。

 定数36人の町田市議会は、会派制(3人以上)が敷かれており、3人と10人以上では様々に条件が異なっており、しかも、時によっって、より大会派に有利になっています。ただし、一般質問は個人に割り当てられており、全て同じ条件で実施されます。第1定例会、あるいは臨時議会の質疑時間に差が出ることが大きな特徴です。1人会派と言う存在は認められておらず、諸派と称され、今は4人の議員が諸派となっています。

 私は、3期目の途中から、会派分裂で少数派に転落し、私が幹事長になっ時にはそれでも議長を1票差で会派から出していますが、改選した以降はその継承会派(志政クラブ)では議長に推薦されることはありませんでした。しかし、私が副議長を取れる可能性がある提案、他派と交渉し、会派に副議長職を得ることなり、私が就任しました。その2年後も、同じ会派議員が副議長に就任しました。この間、自民党が議長を取ることは一切ありませんでした。

 その期が終わる前に、相互に分裂して保守系の少数会派、あるいは単独諸派議員になっていた自民党が突然会派一本化し、私がいたその会派は消滅しています。私は、そのために、無所属でした私は置いてけぼりをくらい、諸派に転落しました。他に、2名の議員が同じ立場になりました。

 5期目には、そのそれぞれに置いてけぼりになった議員と、国政・都政に立候補して市議会にカンバックした議員が合流し、4名で新たに保守連合を作りました。最小会派でした。私は、議長選に出ることを宣告し、それを前提に、会派結成となったものですが、議長選の投票を敢えて求めませんせしたが、1名が協調してくれ、2票を得ました。結果、この期の議長選挙は自民党は敗退しました。また、会派から副議長が出ました。市議会の会派抗争が激しく、合従連衡を身近に見る様相でした。しかも、私は演出家になったり、主演を演じる経過になり、この期中に初めて、議長に就任しました。尋常な手段ではありませんが、金銭が絡むようなことが無いのが伝統の特徴です。

 議長在任中は、1度、議長裁決の機会があり、意見書で国政の安倍総理に批判的な立場の主張を意図して採用しました。この間、役務がら市長に接する機会が多く、その人物像がよく理解しましたが、今の距離を置いた関係以上のものは生まれませんでした。無事に、この議長職を終えました。

 7期目は、一議員に戻り、元気に、議会の発言を行っています。一般質問で市長に挑んでみたり、本会議質疑では、意外性の高い内容を提起し、委員会では多数派工作を図ったり、議会の討論では、毒舌を吐くこともあります。

 議員たるもの、一人で耐えることを学び、自分を抑えて人を立てて仲間作りの会派を作り、住民のための施策や住民請願には多数派工作に加担し、獣のように獲れる役職は取るスタンスが必要だと考えてきましたし、実行してきました。発言の機会を奪われて、住民に役立てができない場面が起きると、歯ぎしりすること、悔しくてその日は眠れないこともあります。

 思うに、少数派、あるいは単独議員が、多数派からお情けで意見を言う場を確保しようというのは、政治家として甘ちゃんだという証明ではないでしょうか。頭を使い、体を動かし、住民に選出された責務を果たすのが、分断社会の議員の姿だと任じています。
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