家計が貧しく、ピアノのお稽古ごとができなく、かわいそうだという話がありました。同情することもあれば、以下のようなケースでは疑問符が付くことがあります。
行政によっては、保護家庭や母子家庭児童がお稽古事などができるように定額の支出(あるいは、クーポン券)によって、子どものお稽古事を促進することを良しとすることが褒められています。生活費で見ると、そうした母子家庭よりもっと苦境にある家庭もあるでしょうし、保護家庭水準以下の家庭もあるでしょう。都市部においては、公共住宅でなく、一般の民間賃貸住宅に住む家庭の方が、生活水準が低いケースはよく見かけるものです。行政の補助や支援というのは、そうした一般の民間賃貸住宅に住む世帯には、ほとんど顧みられない施策が多く、新たな不公平をもたらしていると見えるものです。
将来を見据えるならば、子どものお稽古ごとに行政支出が果たしてどのように有効かと疑うものです。もとより、私は音楽や美術に関心がある方だと思いますが、それはそれぞれの縁があり、学習の方法があるというものでしょう。
むしろ、その子にはどのような勉強が必要かを真剣に考えてあげる方がはるかに有用でしょうし、お稽古にあれこれ手を出すより、いくらでも学習の方法はあるでしょう。
もう、目標の価値観を変えるべきだと思います。より、金持ちの後追いして、ついて行けるものでしょうか。そうしたお金持ちの子にアップアップして後追いしてどれだけの徳があるのでしょうか。お稽古事は、大半はお金だと思っています。人並というのは、相応の生活を送ることができる世帯水準のものであり、自分より上のものについて行く生活を子どもの時代から慣れ親しむ、訓練するにことになるでしょう。
あるとすれば、人がやらない分野で先駆となる以外になかなか方法がないと思います。この間、スポーツの分野では個人技を特徴とするものが誕生し、オリンピックの種目になったものもあります。十代の少年少女や、一躍世界的なプレイヤーになっています。こうした道に進む方が遥かに健全だと思うものです。
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吉田つとむHP 前町田市議会議員 吉田つとむのブログ用語の説明
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