この度、開かれたG7の会議は大きな話題になりました。岸田首相と、G7のトップがそろって広島原爆資料館=平和記念資料館を訪れて内部を見学したこと、さらに、全員がそろって記念碑に献花をしたことが連続的にニュースになりました。続いて、途中から参加することになったウクライナのゼレンスキー大統領も、見学と献花を行っていることが映像や写真が報道されました。掲載写真は、ウキの資料
その後、広島原爆資料館=平和記念資料館は、本館と東館があること、今回、G7トップとゼレンスキー大統領が見たのは東館の方であったことが一部に報道されたり、加味して報道されましたが、広島原爆資料館=平和記念資料館を世界のトップが見学したことを大きく報道する声にかき消されています。
私が広島原爆資料館=平和記念資料館を見たのは、1964年のことです。広島原爆資料館=平和記念資料館の本館と東館の相違、G7トップとゼレンスキー大統領が見たのは東館のみの可能性があるが、私が見たのは、建物が一つ(本館のみ)の1964年。2023.05.22 を書きました。
この広島平和記念資料館のHPを見ると、施設は本館と東館に分かれていること、資料内容が設置目的によって大きく異なることが記されています。以下の通りです。
本館には、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や絵などの資料を展示。
東館には、核兵器の危険性や被爆前後の広島の歴史について展示のほか、被爆者証言ビデオの視聴。
とあります。
広島平和記念資料館のHPの資料館に関する年表によれば、東館の開設は1994年となっております。
上記のように、私がこの広島原爆資料館=平和記念資料館を見学したのは、その当時の原水爆禁止大会に参加したおりのことです。高校1年生でした。この年の原水爆禁止大会は、この広島と長崎の大会以外にも、大阪の扇町プールで開催された記憶があります。
この広島の大会の直前に、ベトナム戦争の歴史的な拡大につながったトンキン湾事件が発生しました。べトナムに隣接するトンキン湾においてベトナム艦船がアメリカ艦船に魚雷攻撃をしたと言う名目で、アメリカ軍がべトナム民主共和国(いわゆる北ベトナム)に大々的な空爆を加える戦闘状態が起きたものです。原水爆禁止の大会は、そうした戦争危機の緊迫した中で開催されたものでした。
当時の見学では、被爆者の遺品や写真などを展示がとても心に焼き付く体験でした。その全部を直視するのは容易なことではありませんでした。
今回のG7トップとゼレンスキー大統領は、東館から入り、その東館から出てきたとされ、どの展示を見たかは詳細が出されておらず、かつ、本館展示の見学があったかどうかすら明らかにされていないようですが、今後、様々の情報公開請求が行われて、その内容が若干わかるかも知れないと思います。自分の体験に合わせ、関心があります。
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