「戦争学のすすめ」(松村劭著)を読み終えました。内容が重く、一気に読める本ではなく、幾日もかかっての読書でした。*日付けを5日に訂正
そもそも戦争が学問として成立するのかと思い返すと、「平和学」というのは学問として立派に成立して、多数の大学でも専門的に研究されていますが、その反対語とされるはず(戦争と平和:トルストイの名作がある)ものですが、いざ、「戦争学」と名乗る研究はなかなか見当たららず、大学でも戦争学を研究する部門はなかなか見当たりません。日本では、「防衛学の全課程は防衛大学校でのみ講義が行われている」とウキに記載していますが、戦争学の名称は無さそうです。それらを見ると、細目の中にはそれらが入っています。ただし、アメリカは、かのハーバード大学でも戦争学を教えているとされていますし、「軍事学」で検索するとアメリカでは多数の大学で、研修できるし、イギリスやフランスの有名大学でもそれらを学べるそうです。
世間的には、イージス・アショア(陸上配備の大陸間弾道弾の追尾ミサイルシステム)が当初の機能が不全などの理由で停止、計画撤廃とされ、その代替えに急きょ、敵地攻撃体制の議論が必要とされ出しました。ともかく、限定的に国の防衛が想定される時から、国の防衛になる為には、相手の攻撃軍事拠点を打破せよという立場に転換したのか、あるいはそうするほかないとなっていると思います。ただし、これは世界の大半の国が取っている立場であり、これは、近隣諸国もそうした考えでいるわけであり、日本の特異性はこれまでの国の専守防衛の見地から、普通の国家に移行過程にあるのでしょう。もちろん、日本には、一切の軍備を持つべきではない、平和国家であるべきだという考えやその運動、あるいは専守防衛に限るべきだという水際に限界を置く考えまで幅広くあることを、若干は承知しています。
さて、松村劭氏は、「戦争は外交で得られない妥協を戦場で獲得するのだ」という言葉を序章の、さらに冒頭に置かれています。もちろん、これは彼の造語ではなく、歴史的な戦略家リデル・ハートの言葉だと記されています。また、ドイツの基礎を作ったプロシアのフレドリック大王は「軍事力のない外交は、楽器のない音楽だ」と言ったと記されています。まさに、現代の巨大帝国である米中の姿を現しているものですし、アメリカは中南米に取っているやり方を中国が西太平洋地域で再現したいと思っているのでしょう。とにかく、日本には、戦争学がなく、それは今の日本の話だけではなく、戦前の日本にも無かったということが書かれています。この序章を読んでいて、松村氏が言いたいのは、そのことだろうと思います。そのことが松村氏とと、復古主義者の主張、判断と異なった実証主義的な考えと判断だと思えました。
第一章は、アメリカはどういう国家ということから始まっています。言うまでも無く、アメリカはイギリスから独立して成立したのですが、単純に独立にいたたのでなく、平和路線から決別の戦争路線の選択があり、それに8年を要したと記してあります。アメリカ独立の側が勝ったからそれが正義の戦争になったという記述です。あわせて、白人から土地を取り上げられるアメリカインディアンの立場の記述もありますが、基本は強者が支配すると現実分析です。建国後の中国は、アメリカとの関係において、核開発をすすめ、「他国から侮られないためだ」として、それを造り上げています。思うにに、その判断、選択が、今日の中国の力になったものでしょう。
歴史上の、あるいは世界の諸国家も、国土を大事にする、もっと、政治的な独立を大事にしたために、海外に亡命する例として、フランスのドゴールの例を挙げています。彼は、戦後、復帰すると、大統領に任じられています。
第2章では、軍事力の独自性を提起しています。世界最大の帝国を築いたジンギス・カーンは攻め入った征服地を直接支配せず、その占領地で相手の政治を認めて、次の天地に侵攻していったと書かれています。相手の軍を撃滅するのであって、人民を抹殺する意図は無かったとされています。
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[…] この間、「戦争学のすすめ」(松村劭著)を読み終えました。前回は、私の梅雨の読書:戦争学のすすめ(2)2020.7.5 を書いています。 […]