吉田つとむの選挙概要 2002

<設定項目>
● (総合)吉田は自民党公認で3期目の当選をはたした。
● (組織)後援会の活動と動員について
● (特徴)インターン生の果たした役割
● (データ)過去3回の選挙で、得票数・得票率・順位の3分野で全て上昇。
● (感想)後援会員が見た選挙
● (感想)応援議員が見た選挙
● (感想)インターン・ウグイス嬢が見た選挙
● (感想)特別秘書が見た選挙戦
● (感想)特徴ある選挙事務所について
● (記録)街頭演説・議会レポート・インターネット・党活動・地域参加
● (特徴) 双方向政治の方向提示
● (政策) 自立した産業・ビジネス都市へ
● (背景) 業界・団体の推薦を全て退ける

<個別説明>
● (総合)吉田は自民党公認で3期目の当選をはたした。

 今回の町田市議会選挙では議員定数を、40名から36名に1割削減した。その結果も含めて、現職議員が多数引退することになり、前回に比べ新人候補が大勢立候補した。立候補者総数は45名となり、内訳では現職25名と新人は19名の立候補となった。当選者数の内訳は現職が24名で新人は12名の当選であった。
 吉田はこの選挙で4,248票の得票を獲得し、第6位の順位に達した。過去3回の選挙で毎回得票を伸ばしてきが、その内容は第33位・第29位・第6位という上昇傾向であった。
 今回の選挙でも、若手候補が人気が高く、特に民主新人の新井候補がトップ当選したことが特徴的なことであった。従来より、連続トップ当選で名高い古宮氏は、第2位となった。第3位は議会で過激な発言で有名な、大西議員であった。以下、4位以降は、自民党現職議員は3名続いた。順に、若手の藤田学議員(2期)、鶴川に強力な地盤を形成する斉藤稔議員(4期)、インターネットを武器とした吉田つとむ(3期)となった。7位以降は、公明党の候補者が上位で目立った。最下位当選者は、自民党新人の佐藤伸一郎候補であった.
 主な落選者では、社民党現職の谷沢氏が30票差の次点で惜敗した。また、自民党は女性候補・落語家・町田市の部長職を定年時に退職した候補を落選させた。私は、小泉内閣に陰りが出たことの影響が大きいと見た。
 一方の市長選挙では、現職の寺田市長が約半数近い得票を得て4選した。自民党は市議2期の井上勉候補を推薦したが、他に候補者が乱立したこともあり、はるかに及ばなかった。

 さて今回、吉田つとむは3期目の当選を目指しての選挙戦であったが、過去2回の選挙に比べ、大いにその順位が上昇した選挙であった。この4年間を含めて、延べ9年間の駅頭演説・議会レポート発行配布と、6年間のインターネット利用を地道に推進してきた。その中で特に、吉田のHPの記事が政治家の情報発信として高い評価を得たことが、大勢の人たちに知られる根拠となった。これによって、街頭演説の中でも、そうした話題を提供しやすくなっていった。

● (組織)後援会の活動と動員について
 
 吉田つとむの後援会では、会長職がすでに7年間にわたって不在である。つまり、前回選挙も含めて会長職無しの選挙をやってきた。幹事長も前回選挙の直後に辞任となっており、今回も選挙の直前に幹事長職が決定したばかりであった.また、後援会の基盤となる幹事の制度も流動的である。後援会はそうした欠点を持つが、他方で、少数であるが、真の意味でボランティア精神に富んだ人たちが集まったいる。行事を開催の際には、運営に手馴れた人物も多く、大変スムーズに流れるのが常である。
 今回の選挙戦においては、集まったメンバー(いわゆる選挙運動員)に大きなトラブルもなく、後援者と支援者の両者の輪が順調に拡大したと言ってよい。
 選挙では、出陣式と最終日のマイク納めに動員を行ったが、それには比較的大勢の人が集まった。しかし、その間に開催した「個人演説会」の参加者数は決して順調ではなかったと言える。選挙の支持層を広げる意味で、先の二つの行事に主力をつぎ込んだところが、正解であったと言えよう。特に、地元の駅前でこれらの行事を行ったため、駅の利用者にアッピールできたと思われる。

● (特徴)インターン生の果たした役割
 
 吉田つとむの活動を考える上で、インターン生=学生研修生の存在は欠かせない。一般の時期には、議会質問の作成や議会レポートの作成が主であるが、今回は選挙戦も大きな戦力となってくれた。2002年春のインターン生は、2月一杯は選挙に関わるといって過言でない活動をすることになった。また以前にインターン生になった人が社会人になって、選挙事務所をおとづれることになり、中には陣中見舞いを持ってくる人材も出てきた!
 選挙前の立ち上がり時期にきたり、出陣式にきたり、最終日にきたり、あるいは「ウグイス嬢」を紹介したり、選挙に欠かせない「ダルマ」を準備してくれた元インターン学生もあった。
 出陣式と当選確定の時のダルマの目入れ式では、特にその小さなダルマの姿に、まぶたが熱くなった。小さくはあるが、そのダルマは自宅に4年間、私が保管することになった。
 しかし、インターン生が私にもたらした最大の(知的)財産は、インターン体験記である。この記録は、私のHP記事の中で、全国の地方議員にもっとも人気の高いものとなっている。おそらく、政治家だけでなく、普通の人にも興味をもってもらっているのではなかろうか。

● (データ)過去3回の選挙で、得票数・得票率・順位の3分野で全て上昇。
 
 私は、今回の選挙を含めて市議選を合計4回(ちなみに、選挙自体は国政選挙を含めて7回の選挙)戦ってきた。最初は次点で落選し、以後3回連続当選した。最初の2回は比較的に下位の順位であったが、今回は6位と言う上位の当選順位となった。改めて調べてみると、私の選挙結果では、毎回その得票数・得票率・当選順位の3分野で全て上昇していたことが判明した。
 詳細な記録は、別に<市議選吉田個人過去データ 2002>を参照して下さい。

● (感想)後援会員が見た見た選挙
選挙の内容について、参加していただいた後援者のそれぞれに、その体験記を書いていただくと、実際に選挙の実像に近まってくると思います。そうした意味で、この記事は、後援者の方で塚本精一さんという方が、私のHP掲示板に書いていただいたものをそのまま転載した記事です。
 他にも、このような記事が到着すれば、また新規の記事を追加したいと思います。
塚本 精一さん  2002年3月 選挙支援活動雑感

● (感想)応援議員が見た見た選挙
 吉田の選挙で特徴的なのは、他の自治体から党派を超えた「議員」、「政治家」の応援を受けていることである。ここで記すのは心苦しいが、他の自治体議員関係者で自民党議員は、単に形ばかりの陣中見舞いをもって来るのみと言うタイプが目に付く。結局は、個人的な政治家の尽きるのではないだろうか。
 今回もまた、民主党関係、自由党、無所属議員に大いにお世話になったことは、無視するわけにはいかない。以下、レポート文。
  田中 健(前江戸川区議会議員)

● (感想)ネット愛好家がみた選挙
 吉田は、ネットの中で、実在の感覚で行動しています。そこで、インターネット界の人物にどのように見られているか、評価してもらいました。
   町村憲彦さん(台東区)

● (感想)インターン・ウグイス嬢が見た選挙

 吉田つとむのインターン生は大勢いますが、選挙に関係する記事を収集した。山梨さん・前場さんは選挙時のインターン生。宇都宮さん、大澤さんは世田谷区の山口議員のインターン生ですが、吉田の所にフィールドワークで選挙の勉強に。ウグイスの安澤さんは学生ウグイス嬢、森岡さんは世田谷区の稲垣議員のインターン生ですが、ウグイス体験をした。
 水口さんは、住民観察者としての意見も加味している。
 村上さんは、2年間のインターン活動を続け、吉田つとむパンフレットの作成を担当した。他に、パワーポイントを用いたプレゼン用作品を完成させた。
 その他、レポート作品は掲載していないが、以前のインターン生として、服部さん、山本さん、さらに第1期生の喜友名さん、高橋さん、出雲さんらが、社会人としての姿を見せてくれ、それぞれに相応した応援をした。
 本人にとっては、感慨深いものであった。
 以下は、選挙の関係記事をリンク。
インターン編
  山梨紀子   2002年2月
  前場俊文   2002年1月
  宇都宮秀男  2002年2月(世田谷区 山口拓議員インターンー フィールドワーク)
  大澤弘美   2002年2月(世田谷区 山口拓議員インターンー フィールドワーク)
  水口尚人   2002年1月 3月
  村上直子   2002年3月 2001年9月 (11月記事を含む) 2001年11月
ウグイス嬢編
  安澤 桂    2002年3月(学生ウグイス嬢体験記)
  森岡恭子   2002年2月(世田谷区 稲垣まさよし議員インターン ウグイス同乗記)
元インターン生 
  服部高宏   2002年3月

● (感想)特別秘書が見た選挙
 私がお世話になっていた元都議会議員阿部俊之秘書の井筒学さんは、吉田つとむの選挙戦に応援に来てくれた際にレポートを書いてくれました。この中で、井筒さんのことを特別秘書として書いていますが、実質的にそのような役割を果たしてくれました。選挙直前から、私と一緒にいた時間がかなりあったため、吉田の選挙手法を最もみじかに見た人物ではないでしょうか。 
 
 井筒学 成瀬物語〜吉田つとむ密着レポート (この記事は長文です)

● (感想)特徴ある選挙事務所について

 「選挙事務所自体を、選挙公約の表現の場にする」、そんなことを考えました。
 高校同窓の大野正彦さんに、取り組んでもらいました。
大野 正彦さん 私の落書き

● (記録)街頭演説・議会レポート・インターネット・党活動・地域参加

 吉田つとむは多方面の活動をしてきた。その広報手段も幅広く、内容も充実している。
<街頭演説>
 街頭演説では、駅前の演説活動ををこれまでに9年間連続して継続してきた。その駅頭は、月曜から連日順に、成瀬駅南口・つくし野駅・すずかけ台駅・南町田駅・成瀬駅北口である。金曜日は、当初は町田駅マルイ前で行っていたが、道路封鎖があり、成瀬駅北口に変更した。その活動は、3期目に入っても同様である。これが終わった時は、吉田つとむの政治活動が終了したときは、議員活動の意志を無くしたと判断されたい。
 現在では、街頭演説に「電光掲示板」を利用した広報手段の標準化に取り組んでいる。

<議会レポート>
 「紙」による政治報告は、昭和61年・平成2年の衆議院選挙時にさかのぼる。資料としてはほとんどものが散逸した。基本的には、最初の市議選落選以降の政治活動報告がスタートになる。当然、議会レポートと改題したのは、平成6年に市議初当選して以降のものである。最近では定例議会ごとに一般配布を重ね、平成14年1月時点で、通巻VOL 113に達した。
 その中で、総集版として作成したパンフレット=「世界一元気な都市 「まちだ」をめざして! 自立した産業・ビジネス都市へ!>は、カラー仕立てのもので、私がもっとも力をかけて作品と位置付けている。このパンフレットの構想時期は、昨年の4月頃である。構造改革を唱える小泉政権のスタート前後からであるが、その施策の不十分性と没落を予測したためでもあった。(ちなみに、私はその経済対策で、亀井静香元政調会長に投票すると発言していた)
 なお、この作品製作にあったては、インターン生の村上さんと共同作業となっている。その製作過程については、本人の発言をご覧下さい。
 インターン体験記 村上直子さん 2001年9月 (11月記事を含む) をご参照ください。

 <インターネット>
 すでに、平成9年の時代に、<吉田つとむはインターネットを武器とする!>と宣言した。実際には、途中で挫折をしたこともあるが、平成10年に2期目の当選直後、政治家HPの評価サイト「電網政治の時代」管理者より、記事更新が停滞していることの指摘を受け、発奮した。その後、インターン生の村上さんと共同で、現行版である第6版のスタイルを完成させ、順調に記事更新を続ける。そのご、インターン生の山本さんの頑張りで、掲示板を標準装備した。その後も規模を拡大し、メールマガジン・ミニマグを発信してきた。

<党活動>
<未記載>


<地域参加>
<未記載>


● (特徴) 双方向政治の方向提示

<未記載>

● (政策) 自立した産業・ビジネス都市へ!

<未記載>

● (背景) 業界・団体の推薦を全て退ける

 昨年、ある有力な業界団体が私達を推薦もしていないのに、それらの関係者を応援しているかのような発言を行っていた。その人物は、事実を知らない気の毒な人だと思い、そのことを指摘してあげ、さらに今後ともその団体から推薦を受ける意志がないことを、おおやけの席で明らかにした。そうした経緯で、このさいの市議選で全部の業界・団体から推薦を断ることにした。
 その結果がどうなるか、少なくとも、私が順位を大幅にアップしたことで、業界・団体については、私に限らず、市議レベルでは、今日の集票力はゼロに等しいと考えられる。
特に、私がその推薦を拒否して上位当選した今回以降は、その権威は消えたと考えられる。