「未完のファシズム」(片山杜秀著)と言うかなり過激なタイトルの本を読む(4)2020.7.24続きです。今回は、第5章「持たざる国」の身の丈に合った戦争ーー小畑敏四郎の殲滅戦思想の部分を再考してみます。
日本は、日清戦争、日露戦争、そうして第一次世界大戦の戦勝国になり、欧米列強の一角になりました。とは言え、軍備も、産業生産力も欧米に比べるとはるかに後位の水準にありました。当然、欧米列強と互角に戦う力量も、統一途上の中国本土に進出を繰り広げていく戦力も有していませんでした。産業比較が書かれていました。アメリカやイギリスととても長期戦を戦う国力が無い、満州で覇権を争ったロシアの後身のソ連と戦うには、戦線が広すぎるという見地ですが、ソ連が日本の権益権内に入ってきた場合のみは、それを撃退するという考えが、歴戦を経験し、欧州の戦争を見分してきた小畑敏四郎の考えでしたが、それが「持たざる国」の戦い方と取られられました。ただし、現実はそれとは異なった方向に向かっていきます。
他方の「統制派」は、石原莞爾が満州事変を起こし、満州を席巻し、満州国を設立する経緯になりますが、それは満州を日本に取って、一大産業基地にするものでしたが、それは日本を「持たざる国」から「持てる国」に変えたかったからでしょうと、片山杜秀氏は推測しています。ただし、「皇道派」は、日本が伸びた時にはアメリカはもっと先に進んでいるだろうと考え、「持たざる国」の身に長けにあったよりどころに求めるべきだと見なしていたと言います。
それらを、何故かを片山杜秀氏は、分析しています。日本が戦える状況と言うのはどういう状況なのかと言うことが大きな課題になります。当時、「皇道派」と言われる勢力がありました。彼らは2.26事件を起こし、その反対派の「統制派」に鎮圧されます。その「皇道派」は、思想的には北一輝の天皇を中心の農本主義ですが、小畑敏四郎の世界では、戦争を戦うためには、国民に過度の経済的な負担をかけず、その物質的な不足を精神力で補う、「天皇陛下万歳!」と兵士が叫ばせて戦争意欲を高める発想につながりました。そのその戦争はできるだけ短期に終わらせるという発想で、その精神力の持続には限界がある考えが、「皇道派」と神髄にあると見ています。
「皇道派」から生まれた「統帥綱領」、「戦闘要項」が、「統制派」が「皇道派」を打ち破った後の、当初の作られた状況とはまるで異なった条件下でも、その文言のままに生き残っていきました。装備劣悪で寡勢の日本軍が装備優秀で多勢のアメリカ軍などを「必勝の信念」で包囲殲滅しようと道に走ることになっていきます。
ただし、現実は日本に勝利の道が開かれているわけではなく、「必勝の信念」が信念の不足、信念を積み重ねることで敵をせん滅できると思いこむ、敵をせん滅させる目的で味方がせん滅するまで戦い続けることに至っています。それが玉砕というものだとしています。「統帥綱領」、「戦闘要項」を策定した人が思いも寄らぬ「狂気の沙汰」の経典に化したと書いています。その小畑敏四郎自身は、「統制派」に排除されて、予備役にされることで、その後の戦争には関わらず、敗戦後直ぐの内閣に大臣として入ったという経歴を持ちました。
#未完のファシズム,#片山杜秀著,#持てる国,#持たざる国,#皇道派,#統制派,#必勝の信念,#統帥綱領,#町田市議会議員,#吉田つとむ,
吉田つとむHP 町田市議会議員 吉田つとむのブログ
コメント