4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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(続き)70年代超過激派戦闘員が逃亡後、病気で入院し、名乗り上げ、聴取を受けるも病死の結末となったことの感想2024.1.30

政治問題
成瀬駅より、成瀬が丘側

 今回の「東アジア反日武装戦線」の元メンバーの一人が自分がその当事者と名乗って死亡した人物と、地下鉄サリン事件の殺人容疑などで逮捕されたオウム真理教の元信者の一人(女性)とは、その逃亡において、同様な点と、異なった点があるように思える。
 まず、同様な点というのは、地下生活とみられながら、一般と似た生活を送っていた点である。まず、住み込みやアルバイトの方法で収入を得ることができるという点が共通している。税金の徴収がどうなっているかわからないが、源泉徴収を受けても確定申告(還付を受ける気が無い)をしなければ、その人物を税務署としては追及することは無いのであろう。また、支出の面では全部を現金で支払う方法を用いればその人物が誰であるかを問わないということだろう。
 当初、紙の保険証がなりすましで使用されたとの報道が一部にあり、ネットではそれが前提で語られていたが、上記のように現金払いであったことでマイナカード保険証の必要性とは全く関係ないことが明らかなになった。参照:前回記事2024.1.29

 オウム真理教の元信者の一人(女性)の場合は、逃亡生活を送っていたが、同じ信者と同居生活を送っていた時期と、後の一般男性と一緒に暮らしていた時期があり、後者の時期に逮捕に至っている。この間に、元の信者同士と連絡を取ったこと、あるいは一般男性と一緒に暮らしていた時期にその親族とも面談したことがあって、自分の背景が事件関係者であることを間接的であれ示したことで、捜査機関に通報され、逮捕に至っている経過であることを改めて知りました。先に述べると、このオウム真理教の元信者の一人(女性)自身は、逮捕された後、複数の事件で不起訴処分(容疑が不十分)や、他では起訴を受けて裁判となり、最終的どれも有罪となったものが無いということを今回初めて知りました。それらの記事を見ると、本人は自分が何をしていたか、何をさせられていたかを知らず(何も理解せず)に犯罪に加担されていたという経過であったようです。最高裁まで行って、無罪になった経過を記す記事がネットに出ています。
 要するに、自分が捜査対象者であることを間接的にであれ、自ら明らかにしたを同居者やその親族に話したことで逮捕されたものです。しかし、裁判でその犯意性が否定され、不起訴処分になるか、起訴の事件でも無罪に至ったという次第です。逆に、オウム真理教の元信者の一人(女性)と同居していた人物は、容疑者を隠匿していたということで有罪になっていることもネットに記されています。*これは当然のことでなのでしょう。
 そのオウム真理教の元信者の一人は、私が住む町田市成瀬が丘1丁目に隣接して久しく住んでいた(成瀬が丘2丁目)と報道されました。その通っていたクリーニング店は私と共通であり、本人が同じアパートの人と一緒に行っていたという焼き鳥屋にも行ったことがあります。逆に、私の場合、自分が居住地を変えずに同じアパートに40年近く住んでいても、その同じアパートの居住者の人と居酒屋の類に一緒に行った経験はありません。JR横浜線成瀬駅に行くまでに何度も顔を合わせているはずですが、その種の思い浮かべは一度もありません。

成瀬駅北口 成瀬が丘と反対側

 「東アジア反日武装戦線」の元メンバーの一人は、神奈川県内藤沢市の土木建設会社に住み込みで働いていたということで、単独の行動であったのでしょう。その日常生活は、かなり明らかにされています。銭湯に行っていた(20年前からと記されている)が、今も同じ生活かは記載がない。また、藤沢駅の近くのバーに月1で2年前くらいまで通っていたこと、通称(偽名)で通用していたこと、愛称まで持っていたことがニュースになっています。また、人との会話も普通に行われていることも、首都圏の郊外の日常生活において、支障になることは起きていないということでしょう。
 当然、捜査機関はこれから、この当事者が昔からの交友関係を洗い出すのでしょうが、この数十年間、昔の人物と一切かかわっていないか、「東アジア反日武装戦線」の参加メンバーがごく少数であって、紛争当時に解体して以降、相互に関係性を持たず、その後の数十年を過ごした可能性があるものです。

 今回は、本人が大病を負い、(死亡に至る直前に)自身が「東アジア反日武装戦線」の指名手配者であることを明かしたことで、起訴はもちろん、逮捕もされることなく、病床で事情聴取を受け、十分な時間もないまま死に至ったわけであり、事件で犠牲にあった人の遺族、あるいはけがを負った当事者の思いは諦めがつかないものでしょう。ましてや、捜査機関の手によって本人が炙りだされたのでなく、無念なことでしょう。

 最後の最後に、自身が自分の過去を語ったことで自身を救いたがったとは思えませんが、家族にメッセージを発していたり、残していないことを求める意見はあるでしょう。
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