今回は、以下の続きですが、3回目として、(改めて能登)として書きました。
考察2:令和6年能登半島地震の救援、復旧について2024.1.5
考察1:令和6年能登半島地震の救援、復旧について2024.1.4
<目次>
1.私と北陸と関係、
2.能登地域について
3.石川県の地方議会と議員数について
4.地方議員とその活動について、県議も追記
5.追記(内灘)
冒頭に、石川県HPより、自治体名が入った地図を掲載し、次いで本文に各自治体議員数を書きました。私は、現在東京都に住みますが、33歳までは福岡県内(生まれは同県内筑後地方)に住み、その後仕事で上京し区部に住み、選挙に出る(衆議院選挙ー中選挙区時代)ために町田市に越してきて、38歳(移転日は37歳?)からずっと同じ住所に住んでいます。本籍は親の生誕地の福井県福井市を変えずに現在に至っており、一度も居住したことはありませんが、北陸には一定のシンパシーを持つものです。また、今回の地震の震源地である能登地方には一度も行ったことがありません。
2.能登地域について
能登というと、能登半島という地形を含めて頭に思い浮かべますが、以下のようになっています。
石川県には、19市町(11市8町)の自治体があり、村はない。
能登北部
輪島市(わじまし)珠洲市(すずし)穴水町(あなみずまち)能登町(のとちょう)
能登中部
七尾市(ななおし)羽咋市(はくいし)志賀町(しかまち)宝達志水町(ほうだつしみずちょう)中能登町(なかのとまち)
(石川中央の内、能登南部)
ブロック的には石川中央とされるが、かほく市と津幡町(つばたまち)内灘町(うちなだまち)は、能登南部という言い方もあるようです。(後述参考*)
3.石川県の地方議会と議員数について
以下は、同業の方についての資料です。総務省の資料から、一部を取り出し、そのまま掲載しました。
川北町議会議員選挙(定数10人)・・・石川県で一番定数が少ない町議会
この間、無投票が多いのですが、2015年には選挙が行われいますが、11人立候補して、最高票517票、最下位当選257票(切り下げ数値)現職、落選者得票230票:66歳現職であり、泡沫ではありません。その時は4人の新人が出ており、3人が当選しています。
有権者数4,612人 投票率88.01%であり、病気の入院者数を含めたわけだから、ほぼ大半の有権者が投票に出向いたと言えましょう。ネットで確認できる議員ではその後援会名で1名だけがあります。*下段参照
珠洲市議会議員選挙(定数12/14)・・・
最高得票898票 最下位当選443票、現職、次点落選者得票396票:82歳現職、最下位落選得票356票、新人自営業(調べて無ると、2期元職であったようです)、泡沫得票の候補者はいません。有権者数11,563人 で投票率77.35%です。*女性の議員、候補者が一人もありません。
さらに、ネット発信が確認できる議員はいなく、最下位落選者のFBがありましたが、選挙の最終日で終わっています。残念ですが現実のことですが、その方の個人ブログは発見できました。困難かもしれませんが、そうした政治的な課題を抱えた議員も必要ではないかと思う次第です。
さらに、ネットで見ると、「1954年に3町6村が合併して珠洲市となった当時の人口は38,000人でしたが、現在は約13,000人まで減少し、本州で最も人口の少ない市となりました。」と書かれています。詳細は分かりませんが、この地震でより難しさが増したかもしれません。
4.地方議員とその活動について
井波ひでとし後援会(川北町議会議員)FB→
定数10名の川北町議会議員の中で、一人ネット発信が見られる議員でした。
自らの震災情報を掲載するとともに、そのFBコメント欄に善田 善彦 石川県議会議員が下記のような書き込みを入れられています。
また、11月の記事では、県道が町道に移管されたことに伴い、冬場の除雪のために、予算化してブルトーザー(追記:ホイールローダーに訂正)を購入したニュースが掲載されていますが、土砂被害のガレキの撤去に利用されているのではないでしょうか。
なお、川北町は有権者数4,612人 投票率88.01%であり、その選出議員は自分の地盤をくまなく回り、支持者の存在を丸ごと頭の中に収めているのではないでしょうか。
善田 善彦 石川県議会議員(能美市・川北町選挙区) HP→ FB→
1月1日は、テレビ画面のリール 1月2日から、地震情報が書き込みされています。ローカル議員としての独自情報もあれば、「不破大仁県議がテープおこしして頂いたのでお知らせします。」という、災害対策本部会議の情報が掲載されています。議員として大変正直である上に、地震の被害に関する地域の独自情報が写真付きで掲載されているのが特徴です。さらに、その文を、井波ひでとし後援会(川北町議会議員)のFBコメント欄に記入され、情報拡散をされています。その際に、情報発信元(不破大仁県議がテープ起こしをした)も記載しています。
不破大仁県議(金沢市選挙区)自民党4期(副議長)HP→
そのフェースブックの中に、善田 善彦 石川県議会議員が「不破大仁県議がテープ起こしをした」という、地震の被災情報があります。その間は、あまり記事がありませんが、多忙な中で仕事だと思います。
5.追記(内灘)(後述参考*)
内灘町というのは、戦後に米軍基地反対の大闘争があり、その内灘の砂丘が射爆場として接収、使用されたが、昭和57年に返還されている。現在まで、内灘闘争として歴史に残っている。私は古い世代であり、多方面に関心があり、この内灘町と内灘闘争の歴史(資料)の記憶を60年ぶりに思い出しました。そういうことに関心を持つ、他から不思議がられる少年でした。#,#,
#考察3,#令和6年能登半島地震,#救援、復旧.#福井市は本籍地,#珠洲市,#川北町議会議員,#テープ起こし,#石川県議会議員,#町田市議会議員,#吉田つとむ,
吉田つとむHP 町田市議会議員 吉田つとむのブログ
コメント
[…] この記事は、以下の記事の続きです。冗長な部分もあります。学者ではないのでご寛容ください。結論を急ぎたい人を他を見てください。当方は、社会的問題や政治的な問題に対して、づっとパルティザン、ゲリラ、あるいは草として生きてきており、その息づかいがそのまま出ているとご理解いただき、ご寛容できない方はどうぞ、路傍の石が口をきいたという判断で通り過ぎてください。 考察3:令和6年能登半島地震の救援・復旧について2024.1.6(改めて能登) […]
[…] 考察3:令和6年能登半島地震の救援・復旧について2024.1.6(改めて能登) […]