4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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視察報告書2024.4.11-12 能登半島地震の被災地(通行止めについての前段)2024.4.14

政治問題

 町田市議会無所属会派 吉田つとむ 2024.4.17提出予定
石川県能登地域(中・南)と富山県小矢部市の視察報告書

2024年1月1日の能登半島地震から100日が過ぎました。
● 1.通行止めカ所の視察状況
〇 国道の通行止めカ所:359号線
〇 生活道路が多面的に通行止めになっているカ所:内灘町西荒屋
〇 生活道路が多面的に通行止めになっているカ所:かほく市湖東地区(干拓地)

〇 国道の通行止めカ所:359号線
 今回の震災被災地では、通行止めの場所に遭遇しました。
一カ所は、国道の通行止めでした。国道359号線富山県小矢部市と石川県金沢市を結ぶ路線で、県境付近で通行止めになっていました。現場は左手路肩が崩落して、路面全体が崩壊した形でした。
相当手前の交差点にもこの先は通行止めの表示がありますが、「石川県面には行けません」と電工表示されています。その看板には「通行止め」、「ここでUターンせよ」などの表示看板が出ています。ただし、その道路の崩落場所の手前までは、必要車両が通行できるわけです。その間で生活する人、あるいはそのエリアに用件や仕事がある人は、通行禁止の道路封鎖地点の直前までは通れるものです。
 また、その県境付近で通行止め地点には、その直前の左方向に降りる砂利道が作られていました。その先に住む人たちの生活道路になっていました。応急復旧で仮道路が設定されていました。その日も住民の方の軽トラックが坂を下りていきました。

 通行禁止の道路封鎖地点から、その道路崩落方向を見ると、その右側あたりに、付け替え道路築造の応急対策工事が行われているようでした。そのことは工事看板の令和6年6月28日までの工事看板によって読み取れます。


〇 生活道路が多面的に通行止めになっているカ所:内灘町西荒屋
 砂時の内灘海岸が続き鳥取砂丘と同じ形状であるようでした。その中を貫く形で、自動車専用道路の「のと里山海道」が能登半島の北端(輪島市)方向に延びていました。

その後背地に、小高い部分が細長く続き、それに並行した部分にこの西荒屋がありました。11日の通行では、その様子がわからず、「のと里山海道」を通り抜けたのみでした。そのために、今回の能登半島地震で液状化したエリアを現認する形に遭遇することなく、はるか先の志賀町まで至ったものでした。
(参考掲載:吉田つとむブログ:考察3:令和6年能登半島地震の救援・復旧について2024.1.6(改めて能登)の再後段に記載)
5.追記(内灘)(後述参考*)
 内灘町というのは、戦後に米軍基地反対の大闘争があり、その内灘の砂丘が射爆場として接収、使用されたが、昭和57年に返還されている。現在まで、内灘闘争として歴史に残っている。私は古い世代であり、多方面に関心があり、この内灘町と内灘闘争の歴史(資料)の記憶を60年ぶりに思い出しました。そういうことに関心を持つ、他から不思議がられる少年でした。

 そうした経緯で、再度、4月12日に、内灘町西荒屋に至りました。
 通った道は狭く、家が傾き、塀が道路に倒れ掛かったところの連続でした。通行はできないはずのところですが、通りがかった以上はそこを通り過ごさないと出られません。まるで路地のような場所がありました。あるいは道路の中央の消雪パイプのコンクリート舗装部分を除いてアスファルトが隆起している部分が続いていました。その両側の多くの家屋は赤紙が貼られていました。赤紙と言うのは、応急危険度判定の危険と判定された建築物に貼られている赤色の紙です。*この説明に関しては、
視察報告書②2024.4.11-12 能登半島地震被災地(建築物応急危険度判定と住家被害認定調査相違)をご覧ください。

 (太字部分は2024.4.14.PM11.50追記)

〇 生活道路が多面的に通行止めになっているカ所:かほく市湖東地区(干拓地)
 この地域は「河北潟」と呼ばれる潟湖でしたが、干拓事業によって耕地化され、広大な農耕地になっています。標高は海抜ゼロメートル以下になっており、今回の震災では、地面が液状化し、砂が吹きあがった場所が随所で見られたし、道路の陥没、亀裂が見られたので、周囲の農地でも、地面の陥没や亀裂が生じているようでした。
 通行にあっては、通行止めの区間や看板が随所で見られましたが、農耕者用に利便するためか、全面交通止めの形とは思えない形で、車の出入りは可能でした。ですが、実際に通行するとなると、水たまりがあったり、道路に亀裂があることで、もう少し水位が高い時には危険度が高いと思われました。
皮肉なことに時期が桜の見ごろで、写真の道路に入り込む車両が多くなっていました。ここでは、車両が流砂にはまり込むことも起きていました。住家がなく、広く農耕地が広がっている光景がただただ続く地域となっていました。

● 2.通行止めカ所の考察
〇 国道の通行止めカ所:359号線
 富山県と石川県の県境で国道が崩壊していましたが、現場はそれほど山岳地帯ではないので、仮復旧の迂回道路の築造はそれほど困難な工事ではないのではないかと思われました。資材搬入にしても、富山県側から行えばスムーズにできるはずだと思いました。
 ただし、この道路にほぼ平行して高速道路の北陸自動車道が通っており、そちらを利用すれば小矢部市~金沢市間は有料ですが、容易に代替え通行できることで、道路復旧工事が最優先とされなかったのだろうと推測しました。*30歳代になって、土木資材販売会社の営業職で就業し、こうした道路新設工事、道路改修工事、道路復旧工事の現場周りをしていたことで、道路工事の一般知識を断片的ではあっても取得していました。
 この国道から左方に砂利を新しく敷いた道路が出来ており、この先の人たちが孤立集落にならずに生活できていることでも軽トラの走行から容易に推察できることでした。
 上記のように、令和6年6月末にはその工事も完了することになっており、崩落した道路部分の改修はさらにその先になることだと思われました。まだ、こうした付け替え道路で代用される場所は、他に急を要する改修、復旧工事が無数にあると思いました。
 なお、この種の改修、復旧工事は専門家がプロファイルを使って、そのプログラムを作成しているでしょうが、この土木工事部門の販売をしていたものにとっては、ものの優先順順位を理解することは職務上の必須要件と考えていました。今は、地方自治にかかわる一地方議員であり、事態をどの様に判断するのか、優先順位と打開の可能性を理解して、どのような主張をするかを考えるものでしょう。

〇 生活道路が多面的に通行止めになっているカ所:内灘町西荒屋
 現地の状況はうっすらとしてしか知りませんでした。
 以下、続く。
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コメント

  1. […]  以下は、「視察報告書2024.4.11-12 能登半島地震の被災地(通行止めについての前段)2…」の続きです。能登半島地震の視察に関する一文の後段にあたります。  […]

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