(3回)70年代超過激派戦闘員が逃亡後、病気で入院し、名乗り上げ、聴取を受けるも病死の結末となったことの感想2024.1.31を書きました。
当初の事件がショッキングなこと、また逃亡生活が長かったこと、あるいは死亡の直前まで地下生活と言われるものであったことから、大半は孤独を推測したものが大半です。偽名を使っていたことにも孤独をかんじていたであろうことを推測されています。
では、現実はどうかと言えば、それは存在しないと言えましょう。仮に、日記が出てきたとしても、そこに事実が記載されているかわからないと思います。
そもそも超過激派戦闘員にとっては、地味に生きることが基本であって、今回のような住み込み生活はある意味順当な日常であるものです。一般の組織であれば、その目標達成で栄光の階段に上ったり、組織の上部ポジションが与えられると思いますが、超過激派組織においてはその機密性によりそもそもメンバーも限定されており、地下生活の戦闘員を養う体制は取られていないでしょう。
その構成員は一般の仕事につき、生活費を切り詰め、余剰のお金を手作り工作費につぎ込み、目的に備える。通常はその時点で組織を解散して、一人の戦闘員に戻るのでないでしょう。あるいは、それで戦闘員は終了して、草のように生きていくのを体系化した組織体制にしているのではないでしょうか。
そういえば、マニュアル本は本格的な病気を想定していなかったのではないだろうか。
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