今回は、まだ自分が被災地を訪れた能登半島地震被災者の生活と2次避難が避けられる事態2024.2.2を書きました。
能登半島地震の発生から1か月がたちました。
被災地の道路が限られている上に、その被害が多方面に起きていた。あるいは海岸線の隆起で多くの港が使えなくなったという理由が挙げたれ、現地の復旧に時間が要しているようです。また、平野部が少なく、住居が散在してきたことも、被災状況の把握に時間を要してきた理由とされています。いまだ、水道などのインフラが復旧していないところもがあると言われています。
そうした中で、学校や公民館などの1次避難所に移動したまま、県内外の2次避難所に移る人が少ないと2024 年2月1日の読売新聞はアンケート調査に元ずく数字を発表しています。最大3万人の避難者の内、4000人が2次避難したに過ぎないと来ています。
2次避難を避けている人の理由は、仕事や家族の介護や子育てが上位の理由に挙げられています。
私がこれまで被災地を訪れて見聞きしたことと、一般的な知識を合わせると、仕事というには、この地域は農業や漁業が主体で自営の人が多いことで、他所に長期間移ることは就業できない状態になり、それを避けたいのは最もなことだと思われます。東日本大震災の場合、津波の被災で根こそぎ土地建物やインフラも一切崩壊した地域があったこと、あるいは福島原発の爆発事故の被害がどのようなものか想像もできなかった(帰還地域がなかなか拡大しなかった、あるいは本当の戻って大丈夫か不安)ことで、遠隔地にも2次避難をした人が多数してそのままその地域に定住した人がありました。
さて、この北陸地方は持ち家比率が高い地域でした。地震で損壊した方を含めて、農業などの自営業の存続の目的はもちろん、家や家業を守る発想、つまり先祖伝来の土地や家、山などを守る発想が強いのではないでしょうか、
前に記したように、ちなみに、私の本籍は北陸福井市です。父親は本人が子どもの時に親に連れられて、外地朝鮮(当時は日本領で、日本の一部になっていました。今の韓国の釜山)にわたり、当地で薬屋をやっていたそうです。実家の家業に連なる仕事ですが、海外雄飛を期待した家風と日本の風潮となのでしょう。ただし、日本の敗戦によって、私はその家族が朝鮮での事業と生活の全部を放棄して国内の母の実家近くの九州福岡でこじんまりした生活するようになりました。
今回、2次避難の場所として、東京と大阪がその場所の提供を双方の知事がいち早く申し出し、役に立ちたいと考えたのですが、能登半島の被災者には、その後の生活展望の点で遠隔地での生活はなじめないのでしょう。それらの被災者の方には、半年後、1年後にどのような生活が見込めるか不明な中で、これまでに生活と遮断した環境には目が向かないのだろうと思いました。
なお、震災被害者が2次避難を避ける理由は、家が全壊、半壊した場合でも何らかの財産が残っていたり、あるいは、何らかの資産が残っているケースが想定できることで、それらの資産・財産から離れた場所での生活設計を考えたくないというのが、能登半島被災地の人々の根底の考えではないでしょうか。
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