4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

ビジュアルサイト

営業職の出張手当と食事の値段について(ラーメンか焼肉ランチか?)2023.08.01久留米の丸星ラーメンの思い出から、いろいろな思い

生活一般
こんな感じの20歳代でした。もちろん、仕事中にサングラスをかけることはありません。

 福岡県久留米市の話があったので、サラリーマン時代の食事の思い出を語ります。
 私は営業職でしたが、ほぼ週の半分は出張(後述)に出かけ、残りの半分は会社にいて、電話受注をしたり、持っていくものの準備をしていました。博多人形と言う工芸品を販売する会社でした。今回は仕事の内容を省き、食事のことのみに限ります。

 会社は、本社(卸部)には営業職を含めて10人未満程度の少人数でしたが、休憩室があり、その部屋で配達弁当屋さんの弁当を注文して昼食を取ることもあれば、近隣の食事店で日々品を変えて昼食を取ることもありました。会社で事務の人や作業の人は弁当を持ってくる人が多かったように記憶しています。要するに、全く自由で、個人で全部を決めていました。*会社内のことはまた書くこともあるかも知れませんので、以降は割愛。

 さて、私は週に2-3度、市外に出張していました。週2度は県内を回っていました。盆正月や年度替わりの繁忙期は週に3度の時もありました。その他、月に1ー2度は県外(博多人形は福岡の名産であり、福岡が本拠)に出ていました。その大半は自分が運転する車に乗って、どこにでも出かけていました。県内の場合は午前7時前後に会社を出て、県外の場合は午前5-6時に会社を出ていました。会社に帰ってくるのは午後7時前後、県外の場合は、午後10時前後になっていました。

 仕事中の写真はなく、遊びでドライブに行った時の写真です。

 その出張には、手当がついていました。県内は400円、県外は1000円でした。この金額はかなりの期間据え置かれていました。最初からこの金額であったかどうかは、記憶があいまいですが、10年以上働いて相当の期間はこの金額でした。ゆえに、高度成長期の頃で、出張手当にしてみれば相当の金額でした。

 さて、会社に入ったころには、博多ラーメンが50円程でした。高度成長期であったので、それが相当の幅で変わっていたように思います。

 さて、県内のルートは、筑豊の直方、飯塚、及びその周辺、筑後の久留米、大牟田、及びその周辺でした。高速がほとんどない時代に、それだけ周り切るのは何たいていのことではありませんでした。その時、久留米の丸星ラーメン(丸星ラーメンセンター)に立ち寄ることがありました。通常、博多ラーメンが有名ですが、私はラーメンと言えば、久留米ラーメンが一番でした。それも、福岡から久留米に入る直前、筑後川の手前にあった丸星ラーメン(丸星ラーメンセンター)が一番気に入っていました。もう一か所、途中(佐賀県基山町)の丸幸ラーメンセンターも時々立ち寄っていました。とても広い駐車場を持っており、長距離の大型トラックが停まっているような人気がある店でした。

 別に毎日ラーメンを食べたいたわけではなく、そこまで好きと言うわけではなく、大半は定食屋(ご飯+おかず数品+味噌汁)で食べていました。あるいは、「ウエスト」という駐車場付きの焼肉とうどん(別棟)の店にも寄っていました。ドライブインという呼称が似合ったタイプの店でしたが、時には、焼肉を食べていました。今の吉野家みたいな安い店は(ほとんど)なく、かといってウエストは高級店もありませんでした。今でいうと、「牛角」の少し下クラス(の料金)ではないかと思います。うどんは、博多では一番好まれるファーストフードでした。よく食べました。

 秋のドライブシーズンに撮影したものです。当時、写真を撮ったことがほとんどありませんでした。

 その頃、レストランのロイヤルが、チェーン店のロイヤルホストを展開し始めていますが、また、小規模都市には少なく、深夜にロイヤルホストで人と会っていた記憶があります。私の感覚では、博多人はロイヤルホストが大好きで、少し高めのメニューが気に入っているという感じでしょう。

 ハンバーガーは無く、ファーストキッチンと言えば、ホットドックでしたが、食事でそれを食べたことは無く、おにぎりも今の販売形態のように商品化していませんでした。博多方面では、関東と違い、うどんを食べる機会が多く、ファーストフードのタイプの外食はうどんとなっていたでしょう。人気の高い、牧のうどんはまだチェーン店が展開される前の時代で、後の就業先の時代のものでした。

 仕事先では、デパートが多かったので、食堂や社食を利用する機会もありました。昔のデパートは中で働く人が多い場所で、社食も相当な規模でありました。当時、弁当を持て来る人は少なく、従業員の人はほとんど、社食のメニューを利用していました。私は、デパートの上層階にある食堂で食べる率がたかったように思っています。

 県外の時は、もっと羽振りよく、高いものを食べていました。昔の出張感覚で阿呆でした。長崎は、孔子廟唐人館という施設ができ、そこのちゃんぽんはとても美味しい食べ物でした。修学旅行生が大勢来る施設で、その時間をさけて食べていました。その後、グラバー邸の下に, 有名な四海楼が再開店(この時、取引がスタート)し、ここのちゃんぽんや皿うどんを食べることもありました。その双方が、四海楼が開発したものだと言われています。本来、ちゃんぽんはまかない食として作られたものですが、客のメニューに転換したものです。今の天皇陛下も昔このちゃんぽんや皿うどんを食べられたということですが、特段、皇族用に材料を用意したことは無いものと思っています。どちらも、いわゆる庶民食であるからです。
 博多人形の会社が閉業した後の時代、長崎に行かなくなって、そのちゃんぽん、皿うどんはリンガーハットで食べるようになりました。最近まで成瀬にリンガーハットがあり、時折立ち寄っていました。

 私は担当したエリアではありませんが、山陽道(国道2号線)の山口県には、「みちしお」と言うドライブインがあり、貝汁がとても美味しと言う情報がありました。確かに、自分で食べと見ると、その美味しさは格別でした。

 四国も年に数回行っていました。食事が美味しいと言われるところですが、実は食事の記憶がほとんどありません。松山にフェリーで午前5時に入り、徳島まで5時間ほどかけて走り、順に瀬戸内海側の都市を巡っていました。高松にも行っていたので、うどんを食べたはずですが、記憶にありません。ただし、瀬戸内海沿いを走っていたので、海産の美味しいものを食べていたのでしょう。それらを含めてたった一人で動いていたので、次々に目的のデパート、お土産品店やホテルを都市をまたいで移動していました。
 給与は比較的に良かったと思いますが、営業職と言うことで残業代はありませんでした。携帯電話はなく、自分が外に一旦出れば、まず、会社に連絡を取ることは無く、会社に帰るまではほとんど、単独の行動でした。よって、私の場合は「孤独のグルメ」のような行動はまずなく、料理は腹を満たすのみのものでした。また、その営業職と言う仕事は、早食いの癖をつけさせました。
 #丸星ラーメンセンター,#丸幸ラーメンセンター,#ウエスト,#博多人形,#営業職,#ドライブイン,#四海楼,#ちゃんぽん,#町田市議会議員,#吉田つとむ,
吉田つとむHP       町田市議会議員 吉田つとむ

コメント

タイトルとURLをコピーしました