本日の読売新聞に、高校野球甲子園の試合で、星稜高校のスラッガー松井秀喜選手に5連続敬遠を放ち、チームの明徳義塾に勝利をもたらした、投手の河野和洋選手の人生を書いた記事が掲載されていました。筆者は、大阪履正社野球部出身、甲子園ではベンチで市コアブックをつけていた大井雅之さん(現在は、読売新聞東京本社社会部記者)です。
その後の松井秀喜選手は、ドラフトで4球団の指名を受け、抽選で巨人に入り大活躍、米国の大リーグに移ってもヤンキースの強打者として活躍し、今はそのヤンキースのGM特別マネージャーを務めています。
この大井雅之さんの記事によると、他方で、河野和洋選手は大学を専修大学を選び、本来の野手に戻り、きちんと成績を残したにもかかわらず、ドラフトで指名されることは無く、社会人野球に進み、プロの指名を待つが声がかからず、2度にわたり、米国の独立リーグに所属し、大リーグを狙うがその希望は叶わず、国内のクラブチームに所属し、41歳まで続けたという。昨年から、帝京平成大野球部監督に就いたと記載されています。この河野さんは大学選手権で日本一になることが目標とされているとのことで、高校野球の監督になるのも夢だとことで、監督として目が出てくるかもしれません。
一方で、明徳義塾野球部監督の馬淵史郎監督は、河野和洋投手が松井秀喜選手に5連続敬遠を命じた際、その星稜高校に2×3の1点差で勝利するということで2回戦をものにするも、3回戦の広島工業戦ではあえなく、8×0で敗退したと記載されています。その10年後、夏の甲子園で全国制覇を成し遂げる偉業を成し遂げています。馬淵史郎監督の意思の強さ、勝負士としての力量が現れていると思います。
私にとっての転換は、4期目で市議を辞し、都議補選を自民党公認で出て惜敗、次の本選挙では絶えず党内から妨害を受け、選挙では「立候補したいなら除名と宣告される。「応援や支持は無くても、党籍だけはのこしてほしい」と懇願するも、その選択は許されず、離党して無所属立候補を余儀なくされました。そうした処遇に関わった人物は、選挙で無所属で立候補したタイプの陣容で、自民党が野党の時代以来、ずっと自民党公認で出てきた私には屈辱でしたが、いざ、党の束縛が無くなると、その都議本選は最下位ながらもすがすがし選挙が戦えました。様々の結果、市議に復帰する選挙を完全無所属として果敢に戦い、断トツのトップ当選となります。当時、みんなの党ブームが席巻していました。議会では、間をぬって選挙で副議長に就任します。提携で、自民党を議長選挙で落選させています。民主党が大躍進した時代です。次は、自民党が盛り返すも、吉田つとむは、淡々とトップ当選。議長選挙を自力で戦う決意をネットで表明し、初力候補し、最下位の2票となりましたが、自民党をまたしても議長選挙で敗れさせる結果を生み出しました。議会の後半2年では、久し振りに自民党議員が議長に当選するも、間もなく辞職し、その選挙で、私が議長選挙に出て、当選し、任期を全うしました。全て、役職を優先した行動で、市外に出ることが多くありました。最小数会派の力を結集して、他派と入り乱れる状況を戦い抜く戦法の理解を得る取り組み、そうしたバルカン政治を貫徹する結果と総括しています。
そして、現在の7期目選挙は、町田市議会選挙最高の得票を得て、3期連続トップ当選を果たしました。各地の自治体議会選挙では、国政で新興の立憲民主党がトップを得ているニュースが続きました。
私は、マスメディアに注目されることは無く、取り分け、全国紙では地方版でも、その存在も無視される状況が続いていますが、彼らに束縛されないネットで情報発信を続け、政治闘争を行い、合わせて全国紙(朝、毎、読など)の批判を絶え間なく展開しています。このエネルギーは、自民党から自分が放逐されたこと、あるいは議長就任を名前を出さず、取材もせずにメディアから泥を塗らたことなどの屈辱にあったことが生み出してくれているものです。そうしたものが無ければ、議員活動からとうに引退となっているでしょう。
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吉田つとむHP 町田市議会議員 吉田つとむのブログ
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