吉村大阪府知事が、政府の10万円給付をバナナのたたき売りと批判的に述べました。私のコメントは、「さて、『日本維新の会』は、国会審議でこの補正予算案に反対するのだろうか」と書きました。野外の私がなんとわめこうが自由ですが、彼は国政政党である日本維新の会の副代表であり、国政の重要課題に変にコメントすると、国会議員の賛否動向に大きな影響を与えると考えるものです。
さて、改めて、この「バナナのたたき売り」という表現を考えてみましょう。バナナのたたき売りというのは、実際にあったものです。北九州の門司港駅には戦前からあるようですが、私がそれを見たのは、昭和30年頃でしょう。まだ、バナナはリンゴやミカン(特に九州では安かった)に比べて高級品でした。野外(テントか、軒下だったと思う)で、売り手が勢いをつけた言葉を使い、バナナをはたきのようなものでたたき(傷はつかない)ながら、集まる客に売っていました。バナナが単品で売って商売になった時代です。高い値段から値段を徐々に下げ、一見アメ横風の売る方ともいえるでしょう。その勢いと、「今日は思い切ってバナナを食べよう」と言う客の勢いで売り買いが成り立っていたようです。吉村大阪府知事は、まだお若いので、バナナのたたき売りをご覧にならないで、その言葉を使われているのではないでしょうか。バナナのたたき売りは、九州なんです。それも、門司港です。
私は、そのたたき売りのバナナを食べています。それも、実際のたたき売りをしたバナナをその場で姉(歳が13歳も離れていた)に買ってもらい、感激した記憶があります。その姉は、当時の小倉市に住み、文字市内で働いていました。鉄道関連の会社に務めていました。日本国有鉄道の「門鉄」と言われて、九州の拠点でした。巨大実業世界のお役所みたいなところと言えるでしょう。姉は直接の門鉄にいたわけではなく、いわゆる出入り業者にいたように記憶していますが、少々、羽振りが良かったように記憶しています。それが、私へのバナナのたたき売りの見物とバナナを食べさせることにつながったのでしょう。当時、私は同じ福岡県でも南部の筑後地方に住んでいました。ブリジストンの本拠地である久留米市と、三池炭鉱があった産業都市の間にある田園地域で生まれ、そこで小学校の3年の初めまで過ごしていました。その田園地域から、小倉や門司に行くと、途中の八幡を含めて、一大産業地帯でした。本当に、七色の煙が煙突から噴出する光景が目に焼き付きました。*のちに、それらは公害の元凶とみなされました。その門司港には、見たことも無い大きな船が停泊していましたが、そばで見ることができませんでした。
当時の写真はありません。見たりません。少なくとも、私がバナナを買ってもっらた時にそれを撮影した記憶はありません。代わりに、姉が住んでいた小倉のマンションのベランダから見た光景の写真を加えいました。下の空き地は、機動隊の宿舎になっており、よく訓練が行われていました。(続く)
*記載日は、正確にするために、11月13日を11月12日としました。
#バナナのたたき売り,#門司港駅,#門鉄,#北九州市,#日本国有鉄道,#姉,#一大産業都市,#吉田つとむ,#吉村大阪府知事,#高級品,
吉田つとむHP 前町田市議会議員 吉田つとむのブログ
コメント