4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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視察報告書③2024.4.11-12 能登半島地震の被災地(災害ボランティアの活動について)2024.4.19

活動報告

 以下は、視察報告書③2024.4.11-12 能登半島地震の被災地(災害ボランティアの活動について)をブログに掲載したものです。

町田市議会無所属会派 吉田つとむ 2024.4.17提出
石川県能登地域(中・南部)視察報告

<初めに>
能登半島地震の復旧、被災者の救援活動に関して、ボランティア活動がスムーズに進展しませんでした。
そのことは、今回の地震災害の復旧に関して、能登半島地震の被害地域が地の利が悪い。道路網が元来整備されていない。道路が地震で寸断された。海上からの救援が港や海岸線が隆起したことで船舶の利用が困難であった。あるいは震災孤立地の中で空地が少なく、ヘリコブターの利用が厳しく制限されたというものでした。
そのため、自衛隊を含む行政機関やインフラ復旧の救援企業の機関派遣を優先し、一般の車の乗り入れを控えてほしいというものでした。明確に言えば、一般ボランティアの来訪は被災地の復旧の邪魔になるという判断が、自治体トップの見解やマスメディアの報道に見えるものでした。
この話はうなずく面がありますが、私自身は疑問に思ってきました。以下は、石川県のHPにある石川県の基礎自治体名ごとの配置図です。

以下は、能登地域の地図ですが、国土交通省のHPにあるものです。

報告1
●七尾市のボランティア支援体制(テント村)の視察状況
 七尾市に、災害ボランティアの宿泊拠点となるテント村を現地で視察しました。
 このテント村は、6年前に水害の被災地となった岡山県総社市が中心になり、NPO法人などと連携し設営したというものです。

 総社市の片岡市長みずからが肝いりで、滞在型ボランティアの支援を目的にした100張りのテントを持ち込み、その運営にあたっているとのことでした。場所は、七尾市の市営球場で外野の芝生部分にテントが展開していました。
 事前の連絡をしていないことで、運営者(総社市職員、七尾市職員、その他のNPO法人関係者)とは一切と折衝をせず、この災害ボランティアの当事者、あるいは近隣の住民と語ったのみでした。
 この災害ボランティア自身の話として、この日(4月11日)は、2-30人の利用者があったようでした。週末はもっと増えるのかも知れません。この七尾市営野球場は、施設的に水の利用が可能でトイレも使えます。*ただし、私は自分が災害ボランティアとして訪れたわけではないので、その場でのトイレの利用は無しにしました。
 また、隣接して七尾市営陸上競技場があり、現在トラックの改装中、震災の影響で6月まで完成が遅れていました。その施設には温水シャワー設備があり、この災害ボランティアはそれを風呂代わりに使えるそうで、利便性は高いと思われました。

報告2
●社会福祉協議会の活動と市民センター施設の視察状況
 七尾市文化ホール(屋内スポーツ施設と一体になっている模様)が災害ボランティア活動の拠点とされていました。
 社会福祉協議会がそれを担当していますが、この施設で見たことは全国各地の社会福祉協議会から派遣されたメンバーが災害ボランティアの対応をしているようでした。本来、この項で書くべきことを下段の「〇社会福祉協議会の活動と市民センター施設におけるボランティアの姿」に記載した内容となっており、以下は重複を避けるために省略します。

報告3 内灘町、河北潟周辺の現状
 内灘町西荒屋地区でボランティアを一人も見かけませんでした。その地域では倒壊家屋が多数ありましたが、特に旧道上の狭い道に両側の家屋は手のつけようが無いというものが多くみられました。道路側に塀や家屋が倒れ掛かりそうなところが連続してありました。液状化現象と呼ばれる特徴の地震被害が見られました。

なにもなかったかに見えるが、液状化現象が現れている地域

 車はもちろん、人の通行も危険だろうという地域がありました。建築物応急経験度判定で「赤紙」が貼られた家が多数というか、大半でした。家屋の全部を取り壊して、災害ゴミと全量除去する以外の方法は無いとしかない様子でした。しかし、家屋によっては、家の中や周囲に人の気配があるものがありました。現行のボランティア募集のやり方を見ると、この地域にボランティアを派遣することはなさそうで、県の意向に基づく社会福祉協議会を通じた申し込み制度の在り方では災害ボランティアの人が出る幕は無いでしょう。
 今後あり得るとすると、縁故を通じた、あるいは宗教、もしくは政治、あるいは福祉の団体が募るボランティアの活躍の場ではないかと思いました。*この判断は、これまで見てきた震災被災地の救援に関して、経験的に述べているものです。

 河北潟の周囲には、河北潟を干拓してできた農場が広大に広がっています。このエリアも能登半島地震の被害が及んでおり、通った場所は液状化現象が起きており、その他の干拓地も同様な地形であり、耕地の給排水設備が完備されていましたが、それらに大きな被害が起きている地元紙の報道を見ました。地盤の沈下や隆起、あるいは亀裂は地下の給排水用パイプラインと設備に大きな影響を与えていることは容易に想像できるものでした。
 私は30歳代に、土木資機材販売の会社に務めた経験があり、この農業用給排水のパイプラインを販売したことがあり、それを埋める土木作業を見たことがあるものです。

 内灘町の被災地 

河北潟の干拓地(左が広大な農地)

●ボランティアの扱いについての考察

 内灘町や河北潟の干拓地(金沢市の一部にまたがる)、及び津幡町の能登半島地震の被災の復興は容易でないことは明白ですが、震災被災者の方の生活支援に関して、ボランティアの参加は容易であったろうと思います。それは、避難施設の運営に関して、ボランティアが避難者に寄り添う活動は、その双方にとって有意義であったものと考えるものです。
 地の利的には、県南の小松、金沢中心部方面から入ること、あるいは富山県側から入ることも、一部の道路を緊急復旧しておれば、ボランティアの被災地入り、あるいは救援活動はさほど難しいことではなかったと考えるものです。
 その意味では、能登半島地震が発生した当時から、一律にボランティアの来訪に、行政トップやさらに政府が、否定的、あるいは嫌悪感を示したのは、日本の災害ボランティア活動、及びボランティア要員に対して、歴史的に水を差す行為であったと言えましょう。今から、ボランティアを募っても、復しがたい悪影響をもたらしたと言えましょう。

 そのことは自分が、その地を4月11日-12日に訪れて思い巡らした感想です。

〇七尾市のボランティア支援体制(テント村)のボランティアの待遇
 七尾城山野球場に設置された、この七尾市のボランティア支援体制(テント村)を写真で表すと、次のものです。
 100張りのテントは、全て大きなパレットの上に断熱材が敷かれ、そこにテントが張られた形になっています。(全部かどうかの確認はしていませんが、)上にフライシートが張られて、テントの通気性、保温性、雨風を封じていました。有料のレジャー用のキャンプ施設でもここまで完備されたものは少ないでしょう。この中で、シュラフを使って寝泊まりをすれば、厳寒期でも、酷暑期でも災害ボランティアは快適に過ごせるでしょう。

 キャンプ用テントとしては、上級品になると思います。上部にはフライシートが張られており、野営の生活就眠を求める意味では、最上の環境と言えるでしょう。
 なお、この七尾城山野球場が野球場としては実質的に閉鎖されているが、実際的には水もトイレもボランティア活動で寝泊まりする人が自由に使える環境がそろっていました。
 下記の写真の建物の左手部分が運営者のスペースでした。野球場の管理事務所は右側にありました。

 遠くから眺めても、各自で利用できるテントのロープに洗濯物を干している光景を見ることが出来ました。

また、隣の七尾城山陸上競技場は、元来改装工事が行われていましたが、震災で完成時期が延びていました。トラックが改修されていましたが、ここの温水施設を野球場に寝泊まりするボランティアができるそうで、快適さを確保していました。
 

 ただし、災害ボランティアが炊飯をしたり、煮炊きができる環境はなさそうで、いわゆる炊き出し体制は無さそうでした。利用者の災害ボランティアに聞くと、食事は、全て買い出しを自分でしているということで、ボランティア活動に出動する前後に、スーパーやコンビニエンスで買い物をすることになるそうです。
 なお、災害ボランティアは車両持ち込みで来た人も多く、
 思うに、災害ボランティアと住民の交流がボランティア活動に参加する人にとっては、充足感の一環、あるいはそれだけで満足感を得るものですが、その点に不足の思いが出るのではないでしょうか。
 その不足の思いについては、次の段落の「〇社会福祉協議会の活動と市民センター施設におけるボランティアの姿」にも記載しています。

〇社会福祉協議会の活動と市民センター施設におけるボランティアの姿

 通常、災害ボランティアの受け付けは地元の社会福祉協議会が担当としています。ただし、災害規模が大きくなると、他の社会福祉協議会から支援の職員が派遣され、それらの人たちが受付業務を担当することになります。写真のように、全国各地の社会福祉協議会から集まった車両が並んでいます。数両の同じ名称の車両もあるので、この支援社会福祉協議会の主力部隊かも知れません。この駐車場は、七尾市文化ホールの駐車場の一角です。

 なお、「連合」の災害ボランティアはバスで来訪するようで、この建物の中に入ることができるようです。小さな看板に「連合石川・県民バス」の方は2階へと別室に通される待遇となっています。一般ボランティアはこの建物の中には入っていけません。*後段の記載を参照。

 
 災害ボランティアは、この七尾市文化ホールの入り口に設置された「ボランティア受付」のコーナーに立ち寄り、スマホのQRコードで登録して行先が指示されます。七尾城山野球場に宿泊するボランティア(テントプロジェクト参加者と呼ばれる)もここで、その日の担当場所が指示されます。

 また、ここで、災害ボランティアには、赤色のビブス(ベスト)とヘルメットを渡されます。交換用の帽子は取り換えになります。
 使用済みのビブスやヘルメットは他市からきた社会福祉協議会の職員の人がスプレーを使って消毒措置を行っています。

 ここは、七尾市文化ホールですが、そのピロティ―部分に、仮設トイレが男女別に並んでいます。左手の水槽は、そのトイレを使った人がそのバケツ(水槽右手の黄色いポリバケツ)を使い、水を流すようになっています。仮設トイレとしては比較的に清潔度が高くなっています。*一般の災害ボランティアは、七尾市文化ホールのトイレは使えず、このトイレを使う指示がだされています。
見学した私も、建物の入り口の受付から先にはいかず、トイレもこの仮設トイレを使用し、指示通りに、水槽の水をバケツに汲みだし、トイレに流しました。
一般で災害ボランティアに行く人は、そうした流れに自然になじむ能力が必要です。
 なお、このピロティ―の奥には、仮設の風呂がありました。人が入浴中であるらしい様子があり、その場には近づきませんでした。自分が利用することはもちろん無く、写真も撮っていません。

 また、この七尾市城山野球場に来た災害ボランティアは、この場に車で来た場合、その裏手の駐車場(屋外施設の七尾市城山水泳プールの駐車場)に置くことができます。ボランティアでの移動は徒歩が原則だと思いました。現に、施設に戻ってきた人は等しく、徒歩で帰ってきました。

 写真の左手に見える車両の多くは、来訪中の災害ボランティアの持ち込み車両です。

〇ボランテイアの能登半島地震の活動領域について
  私は踏破した道順は以下の通りです。全部の距離数を計測するのを失念していましたが、相当の距離を走り、一部通行環境が劣悪の場所を、不本意に通りました。引き返すことが難しくやむなく通行した区間もあります。

石川県小松市(小松空港からレンタカーを利用し、能美市、川北町、金沢市、内灘町、(これより、のと里山海道を利用する)かほく市、宝達志水町、羽昨市、志賀町中心部(一部視察、一般道を利用)、中能登町、七尾市(長時間滞在、視察)、(能越自動車道)氷見市、(これより富山県)高岡市、小矢部市(宿泊、小矢部サイクリングターミナル)、国道359号線通行止めカ所現地視察、小矢部市産業建設部都市建設課に庁舎内視察取材:別途報告書作成、(石川県に戻る)津端町、かほく市、内灘町(長時間滞在)、河北潟周辺(長時間滞在)、金沢市、(一般道途中略)、小松市(小松空港)終了

今回、能登半島地震の最も大きな被害が起きたとされる、能登北部(輪島市、穴水町、能都町、球洲市)を踏破していないことが残念ですが、能登南部、能登中部の自治体を漏らさずに通り、あるいは足を踏み入れています。貴重な体験をしました。

 今回の能登半島地震の救援、支援に関して、こうした災害の場所エリア、被害規模、被害の種類の違いを踏まえ、災害ボランティアの積極的な受け入れによる、災害復旧、被災者支援の手はずを整えておれば、被災地の復旧、復興の道のりや手順、方向も変わっていたのではないか、そうした思いをさらに強く深めました。
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吉田つとむHP        町田市議会議員 吉田つとむのブログ

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