昨日は、年度が替わったことで議会と理事者(市長、副市長、教育長、病院管理者)の懇談会がありました。
その際、市長が肩からアームホルダーで手を下げている姿が目立ちました。私はこの間数回、この種の数十名ほどの場尾において、私があいさつをしても返事が無く、市長から声を掛けられることがないことで、「わざわざ、どうしたんですか」と駆け寄る意識も起きず、懇親会の自分がいつも座る末席のテーブルに着きました。
もちろん、主賓席は議長と出席の理事者が座っていました。副議長は司会を担当するのが慣例です。私は5期目に副議長を、6期目に議長を務めたので席順も過去の記憶にあります。
さて、その市長挨拶で、市長自身のけがに関して、いわゆる「けが」ではなく、自身で行っていた作業を連続して長時間やりすぎ、草刈り機を使い続け過ぎたため、肩のすじを痛め(切断?断裂?)、それを手術をしたというものでした。そのけがの紹介のなかで、同じ高齢者として、気負付けよう、わきまえようという話の下りで、吉田つとむの名前が唯一上りました。私は今期の議会で最高齢となったこと、さらに市長より、私が1歳下であることを承知しているので、この話の流れであり得る話とは思いました。
しかし、この間、まったく会話をしたことが無く、議会の本会議の質問に対しても、「担当者に答えさせます」と言う答弁にはならない返事が毎回のことであり、かつその言葉しか聞いていないので、お互いに会話も対話もこの間、1年間ほどしたことがありませんでした。
最後の会話は、昨年の正月に市長が長期入院不在の後、 昨年の第一定例会で、私が「市長は元気ですか」と尋ね、「元気です」と言う質問と答弁が珍しい会話としてあり、それから議会でも、一般の遭遇場面でも一切会話がありません。石坂市長には、私吉田つとむのことは「眼中に無い」のだろうという解釈をしてきました。それが、いきなり、市長あいさつで、私の名前が突然出された次第です。年寄りと言う語彙の仲間にされました。とは言え、否定できない年齢であるのでしょう。
市長などの全理事者と市民病院管理者(院長)が登壇して、石坂市長が代表挨拶
途中で、一度トイレに立った頃、退席する市長と廊下ですれ違いになり、私は「お大事に」と声を掛けました。すると、「吉田議員も年相応に気を付けて」と言う返事が返ってきました。すれ違いですが、一応の会話と見なしました。その宴席の懇談でも一度も会話をしていないので、そのことを持って「会話」と言うべきものでしょう。
なお、この3月末で東京都からくる副市長が交代しましたが、前副市長による本会議の退任あいさつ、新副市長による新任挨拶を聞いただけで、私が所属する会派には、あいさつ回りも無かったので、顔も名前もよくわからないままでした。町田市議会でも、定例会の会期末には市長が、副市長や教育長を連れて、会派室を回る慣習がありますが、この間、無所属会派室は飛ばして回っているようです。市長以下の理事者を誰も迎えることが無く、過ぎてきました。政治の世界では異常と言えるものですが、前の副市長も、その前の副市長とも特段の不便さは感じなかったので、今回も同じことが起きているのでしょう。
経験上、国会では、会派室のあいさつ回りが無いということは知らない(私は一時期、政党事務員として就業したことがあり、国会が閉会した時には、中曽根総理が大蔵大臣や外務大臣を引きつれて、挨拶廻りをすることに遭遇していました。一人でサラリーマン新党会派室にいた経験があるものです。そうした部屋には、国家公務員の国会職員も1名ついていました)ので、町田市と言う一自治体における特殊事情と理解しているものです。そう言えば、教育長も新旧から一言の挨拶を受けておらず、それで職務に困ることは無く、淡々としたもので過ぎてきました。なお、前副市長は第一定例議会の最終日、会議の終了後、相当の時間が過ぎた後、大半が引きあげた後、私がいる会派室の部屋への個人で挨拶があったとも聞きましたが、別段、それだけのことであったという話のレベルのことです。それにしても、新しい副市長も、教育長も縁なき人であることは間違いありません。この日の懇談会でも、もう一人の副市長を含めて、一言の会話も、お互いに一礼も無く、会合は散会となりました。
もの事はリアルに表記しておいた方が良かろうと考え、このメモとしました。
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吉田つとむHP 町田市議会議員 吉田つとむのブログ
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