4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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元市議の葬儀に列席し、走馬灯のように思い出されること、2023.09.26

活動報告
当時の写真が見当たらず、2017年の写真です。

 一昨日は、元市議の岩瀬雄二氏のお通夜が、町田市斎場でしめやかに行われました。葬儀に列席し、走馬灯のように思い出されることをいくつか述べてみたいと思います2023.09.26
 岩瀬雄二元市議は、私が初当選した当時、すでに自民党席の現職の方でした。ただし、当時は、いや、当時も自民党は市議会内で分裂をしており、私は入った側とは違う派閥でした。当初、話しことはほとんどない間柄ですが、温和な性格の議員でした。議員の中ではかなり珍しいタイプと言えましょう。その後、会派が一人を除いて合流と言うことなり、一人を除いて一緒になりました。自民党の場合、議員が合従連衡するのはほぼ議長人事と言えましょう。私は、その面では人事に弱く、自民党在籍の時は、議長はもちろん、副議長にも就任できませんでしたし、手を挙げることもできませんでした。その意味では、岩瀬雄二元市議も私と似た思いがあったかも知れません。

 自民党の場合は、議会の役職以外に、党組織の役職人事がありますが、当時の名称は支部、現在の総支部に当たりますが、その自民党支部3役の一つ、政調会長を担当されていました。その市長の改選に際して、自民党推薦をどうするかと言う次期に遭遇されました。5人もの候補希望者が参加し、選考委員会で面接、委員で協議して投票で決することになり、10名ほどの委員数であったと思いますが、私もその一人でした。支部長、幹事長はその人選には入っていなかったと思います。伊藤公介衆議院議員(元国務大臣)も選考委員に入り、希望者に鋭意な質問をされていました。私も質問係のように伊藤代議士以上に鋭意な質問を行いました。選考委員故当然と思いましたが、相手には意地が悪い奴だという判断をさせたかも知れません。
 今期当選5期目の石阪丈一市長の初立候補、初当選となった選挙の時でした。自民党が推薦しなかった人材も2名の方がそれぞれに市長選挙に出られて、さらに別の政党が推薦した候補者も出られ、激戦の市長選挙でした。その選挙で当選した石阪丈一市長でした。そうした思いもあって、葬儀に出席されたものと思いますが、読経が行われる前から焼香が行われたということで、その時間に市長は弔問に訪れたということで、私とは入れ違いになりました。副市長の2人が同じく弔問に訪れることはめったにないようですが、音連れたのは、

 その岩瀬雄二元市議は5期目を満了し、引退されました。その地盤には、佐藤伸一郎元議長が入れ替わりで初立候補し、現在に至っています。後に、佐藤伸一郎元議長は自民党総支部の幹事長も務めるリーダーになられています。ご息女の岩瀬和子さんは、1期目の選挙において、その地元では立候補することなく、他の引退する議員に地盤で立候補することになり、そうした内部折衝に私もかかわりました。私のことを理解される方もありましたが、反感を買った面もあるでしょう。それが、私が自民党から排除される時に、幹部の中でそれに反対する意見が表立った出なかった経過でしょう。その岩瀬和子議員は、今期、副議長になり、議長を支え、その代役をそつなくこなし、まじめに職務を励んでおられます。故岩瀬雄二元市議をその様子を身近に観られたことで、ご息女のそうした活躍を感慨深い思いをされたことでしょう。

 さて、そうした親子の経歴を見ると、自民党との関係に置いて相当なものだろうと思いました。実際には、自民党の幹部の表彰状や、記名の生花などはたくさん並べられていましたが、自民党の都連などの参列者は無く、国会・都議会等その他の地元の自民党の役職関係者もほとんど見ず、以前に、前議長の公明党現職議員が亡くなられた時と大きな差を感じました。その公明党現職市議会議員の葬儀時は、都本部代表の現職衆議院議員が式の始まりから終わりまで式に在籍し、都議会議員と全員(あるいは、多くの)市議会議員が参列者に対応するというあり方でした。その際、私は議長だったことで、葬儀委員長を務めた次第でした。さらに、式の直前には、参議院議員の山口那津男代表が焼香され、その前に争議委員長である、私に「大変、お世話になります」と挨拶をされました。

 時期が異なるものですが、自民党と公明党の差を痛烈に感じた次第でした。
 ちなみに、参列者席の最初には、元市議会議長の熊沢洋 元自民党町田支部長に座っていただきました。不思議なことに私がその横に座り、参列議員は無所属議員ばかりで、お通夜の式の最初から最後まで参列する次第になりました。また、式場での案内も、岩瀬副議長と同じ会派ではあるが、無所属市議会議員がされていました。ただし、受付には自民党の小倉將信衆議院議員(直前まで子ども大臣)の横田秘書氏が立たれていました。もとより、お通夜では不在であっても、本葬ではそれらの自民党の人が参列されたものと推量する次第です。
 帰りに、私が元市議会議長の熊沢洋 元自民党町田支部長をご自宅までお送りいたしました。車中では、私が自民党を離れることになって以来に、会話で現況の話をしたり、昔の思い出を語ったりした次第ですが、故人の岩瀬雄二元市議会議員の引きであったように思いました。
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