4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

ビジュアルサイト

考察9:令和6年能登半島地震の救援・復旧について2024.1.15山本太郎参議院議員と支援団体、政治集団について

用語の説明
直近の参議院議員選挙のポスター、私は乙武さんの掲示板ポスター貼り

 考察9:令和6年能登半島地震の救援・復旧について2024.1.15山本太郎参議院議員と支援団体、政治集団についてを書きました。この記事は、「令和6年能登半島地震の救援・復旧について」の一連のものです。
 この間、1月5日には、れいわ新選組代表の山本太郎参議院議員は被災地現地に入ったようです。他方で、同日5日午後には、岸田総理の呼びかけで、国会の主要6党(議会運営委員会の構成メンバー)の与野党党首会談が開かれ、国会議員の被災地訪問視察の自粛が申し合わされました。
 また、石川県の馳知事が、現地の道路混雑による災害復旧車両の優先通行のためにボランテイアの訪問自粛を要請しています。ただし、その一方で、自民党の片山さつき参議院議員が(非常用作業車で現地入り)被災地入りをすることに関して、馳知事が間に入ったことを片山参議院議員のSNSで情報発信される事態に過去形で明らかにされました。*(注記:このことから、馳石川県知事の人命救出や災害復旧の車両の運行を優先させるためのボランティアなどの自粛要請は、いったい何だったのかと思わない人はルールは権力者の恣意だと理解しているとしか思われません。)
 次いで、岸田総理が、13日にも被災地に入る日程計画が政府側から明らかにされました。天候の悪化で順延になっています。14日に被災地入りしたニュースがありました。
 吉田つとむの考え:政治家トップの被災地視察のあり方

 これらの事態から、立憲民主党の泉代表は、岸田総理の被災地訪問は理解する旨と、山本代表に関しても「自己完結で、情報収集や支援が可能な「災害ボランティア団体」の派遣に同行する場合」は、容認する立場で述べています。それは、後付けの時間帯で、さらに小政党が参加しないところで与野党合意をした基準でれいわの山本代表の被災地訪問まで批判すると、自分の行動力の無さの証左にもなりかねないという判断もあったでしょう。その点、維新の音喜多政調会長は、議員の被災地訪問を激しく批判をしています。
 なお、立憲民主党では、杉尾ひでや参議院議員(長野県選出)がこの間、被災地を視察訪問していることが、本人のXに掲載されています。

 共産党の小池書記局長も1月11日の被災地と石川県庁内に設置された能登半島地震の政府現地対策本部を訪れたことを、共産党広報や赤旗電子版で報じています。おそらく、この週末には多数の政治家が被災地現地を訪れるでしょう。*この記事の大半の記述は、13日までに書き込んでいたものです。
 さらに、れいわの山本代表は2度目の被災地訪問をすることを明らかにしており、この週末には被災地現地に入っていることでしょう。
 これだけの迅速性が発揮できる体制はどこにあるのでしょうか。もとより、個人的な資質もあるでしょうが、現地入りした組織体制やその広報ぶりから、機敏な行動ができる自己完結型の組織、あるいはネットワークを有していると言えます。それがどのような体制であるか、翻って見たいと思います。

 山本太郎参議院議員がこのようなフットワークが軽快なこと、パフォーマンスに長けている理由について、考察してみましょう。これらの特徴は、自身が俳優を職業として存在してきたことで裏書されていると考えるものです。個人的には、シリーズ物である『難波金融伝 ミナミの帝王』の助演がとても印象的でした。

山本太郎選挙を支えた、選挙運動組織とその行動力

 振り返って、山本太郎参議院議員の選挙は、2013年の参議院選挙の東京選挙区に立候補した時で、第4位(当時定数5人)で初当選しています。その時は、無党派系(と言われる)の選挙プロ 斎藤まさし氏が手掛けてきた、「MPD・平和と民主運動」の後続組織が選挙にかかわり、ボランティアが支援する形を取りました。実際の選挙運動を見ると、10~数十人の選挙スタッフが遊説活動の手足になり、あるいはそれを取り仕切る人物もいて、大型選挙の街頭宣伝のスタイルを作っていました。政治運動を知るものには吸い込まれるような雰囲気を醸し出すのが特徴でした。「ボランティアが支援する形」というのがいろいろ問題が発生する根拠にもなってきました。
 ただし、「MPD・平和と民主運動」の本格的なスタートは、参議院比例代表選挙の初回の選挙に立候補した(名簿提出政党)政党でした。参議院選挙でトップ当選してきた人物でニュースキャスター出身の田英夫氏や、宇都宮徳間氏(衆議院議員)とのかかわりを強調していたが、節目で縁が切れ、また、新たな、国政選挙や知事選クラスの選挙と候補者にかかわり、その選挙運動の中枢を担っていました。時に、組織の名前を変え、市民の党と称した時代もありました。そうした経緯もあって、無党派を名乗る選挙運動を展開してきていますが、実際には、その基軸に強い党派性を持ったことが特徴になっています。
 斎藤まさし氏は、一般公職選挙の候補者がどのような運動をどのように展開すれば勝つことができるかを熟知してきた人物でした。つまり、スターを作り上げるには、どのような組み立てが必要か、その組みあがるものがいかほどドラマチックなのかを熟知してきた人物と言えましょう。その斎藤まさし氏を中心に集まったグループは、いかに、他の選挙母体にかかわり、その運動を取り込み、さらに自身を肥やしていくをこの間、繰り返してきました。それが成功してきたと言えるものです。*ちなみに、他の左翼グループは一定の勢力(加盟人数)は有していても、社会的、政治的な影響を持っているとは言えない行動になっているのと対照的な構図となっています。

 これらの大半の組織は、日本共産党から、離党・除名・除籍を受けたメンバーが、別途、共産主義を掲げる党派を作ってきたものです。戦前からのソ連共産党の中で排除を受けたトロッキーの系流でもある段階から独自に日本の左翼運動の流れを作ってきたものもありますが、大半は60年安保の反対運動をめぐって、共産党と分かれて登場したブントと称する系流があり、それが細分化したものが様々に存立しています。新興宗教の宗派にも匹敵する枝(分派)を形成してきました。その後も、日本共産党から排除された政治家、グループが旗揚げをして、合従連衡を繰り返し、現在の様々の左翼運動を担ってきました。
 そうした中から新たなリーダーも出ているようですが、あふれ出るまでは至っていないというのが現状でしょう。

 現在の山本太郎参議院議員は、れいわ新選組を立ち上げ、本人を含めて、8人の国会議員を有しています。また、全国には60人に近い地方議員が所属しており、全国的な一斉運動を起こすのは難しいでしょうが、拠点区の政治運動では、その戦力として十分な政治力量を示しています。ただし、それらの参加者では、SNSなどの情報発信で、物事の把握はほとんどできておらず、前のめりでご発信をする人材が出ており、議員の数を増やそうとすると、ブレーキとなってしまう例も起きてきました。上の段に書いた、日本共産党から排除された政治家、グループの系流の人材に比べると、雲泥の差があるようです。
 果たして、山本太郎参議院議員とれいわ新選組は、どのような人材を生み出していけるのでしょうか。
 #山本太郎参議院議員,#れいわ新選組,#国会議員,#地方議員,#MPD・平和と民主運動,#ボランティア支援活動,#日本共産党,#町田市議会議員,#吉田つとむ,前のめり発言,
吉田つとむHP        町田市議会議員 吉田つとむのブログ

コメント

タイトルとURLをコピーしました