4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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考察10:令和6年能登半島地震の救援・復旧について2024.1.16ボランティア団体の救援能力の高さについて、補:町田市議会議員の震災行動

政治問題

 「考察10:令和6年能登半島地震の救援・復旧について2024.1.16ボランティア団体の救援能力の高さについて」を書きました。

前置きの話
 今回の令和6年能登半島地震の発生から2週間が過ぎ、複数の安否不明者が輪島市や珠洲市にあること、あるいは被災者に水や食料がいきわたらないことなどで、災害派遣のあり方が意見が出ています。
 今回はボランティアの来訪に対して、馳知事や石川県、あるいは政府の立場から、強い自粛を求めたこと、現地の復旧が順調には進んでいないこと、被災者に水や食料がいきわたっていないことによって、異論も起きています。
 あるいは岸田首相が与野党6党の党首を集め、政治家の被災地視察の自粛で合意したことで、全国会議員、あるいは全政党に話が行かないところで物事を決めてしまったという、そのルールに従ない少数政党の代表が出てきたり、あるいは自民党の片山さつき議員が馳知事が間に入って被災地に単独で入っていたことが本人のSNSで知らされることになり、党首会談合意の権威が無視される経過をたどりました。そのことが不問にされていることが不思議でなりません。その後、13日の予定で、天候の具合で岸田総理が、馳知事を伴って被災地に入り、前後して、数党の党首やトップクラス、あるいは一般議員が被災地に入る事態になり、被災地視察の自粛はナンセンスな取り決めに至りました。

 こうした経過を見ると、人命救出は自衛隊、警察、あるいは消防(とくにはレスキュー)と病院の協力が第一ですが、孤立した、あるいは孤立したかどうかする十分にわからない地域や地点の緊急物資の搬送、あるいは生活支援は、それらよりボランティア団体、あるいはボランティア組織の方が適しているのではないか思われます。

 それは、人命救出と違い、被災者は多数に広がっている、あるいはその支援の順位の優劣を判定する基準ができていない、あるいはそもそもそうした基準は設定しがたいのかも知れません。例を取ると、例えば、災害支援物資の石川県集積所の近くから順に始めるべきものか、あるいは到着した物資をどのように配分するか、お役所ですから、全ての数や人数を調べ上げて、ある数を分けるのかの適正ルールはどれが正解か、難しい決断になるでしょう。今回のように、馳知事に情報伝達手段が持った人、及び国税庁に縁が深い片山さつき議員のように、どのような状況にあろうと現地で非常用作業車の乗る方法もあることが判明しました。

誰が早く被災地に救援物資を届けることができるか

 町田市内に、共働学舎という社会福祉法人があり、阪神大震災に際して、所有の中型のトラックにいち早く支援物資を積み込み、現地に持ち込んだ組織でした。
 2度目の出動だと思いますが、幾人かに呼びかけその物資収集を手伝いました。
 この共働学舎は、東日本大震災に際して、やはり、自前の車を災害派遣に出して、現地支援に向かっています。もちろん、町田市が現地支援をするはるか以前のことでした。
 彼らには福祉事業のネットワークがあり、どこかで被災にあうと、最もその利用者の救出、事業継続を必要とし、その救援にいち早く向かう体制を取っていました。どこかの要請があるまで待機するのでなく、自前で情報収集をして、自分がメインになって支援をすることができる体制を構築できる特徴がありました。こうすることによって、相手が必要なものを自前のトラックを動かしていち早く送る。公共(つまり、政府や自治体)とは違い、出動に関する判断を自前で行う体制を取っており、ピンポイントで相手に届ける能力を有していました。

 町田市議会議員の被災地視察の多様なあり様

 また、その時期に、共働学舎とも縁がある人物から、「なぜあなたは被災地を見ないのか」という意見があって、私は「なるほど、大震災が起きている時に被災地はどのようになっているのかを知らずに果たして政治家か」と思い、すぐさま、必要なものをリックに詰め、シュラフを載せ、トレッキングシューズを履いて、阪神淡路大震災の現地に向かいました。高校時代は山岳部の籍があり、夜間の山登りをよくやっていたものです。 

 なお、町田市議会議員は、この阪神淡路大震災の現場には3人の議員がそれぞれに現地に向かいました。三者は相互に一切協力をせず、お互いに連絡も取らず、めいめいの場所に向かっています。当時の最高齢でトップ当選の古宮とし男議員(故人)、行動派の大西宣也議員(今期立候補せずに引退)、当時新人の吉田つとむでした。それぞれに自分が被災地に一番先に向かい、自分の報告が一番被災地の大変さを伝えていると考えていたきらいがありました。

 また、東日本大震災に際しては、行動派の大西宣也議員(今期立候補せずに引退)は自分の車で中通りから東の飯館村に向かい、現地をめぐっています。一方、5期目副議長の吉田つとむは、レンタカーを借り浜通りを北上し、楢葉町に至っており、それぞれに福島原発爆発事故が起きた方向に向けて動いています。*吉田つとむは、若干交通規制が薄らぎ出した時には、福島市~南相馬市~浜通り~いわき市まで縦走しています。  
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コメント

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