4期連続TOP当選 吉田つとむとは?

過去各種選挙に15回立候補し、8勝7敗する。直近の令和4年の市議選に出て勝利し、4期連続トップ当選。個別対応形式のインターンシップが好評で若者育成を図る。自民党を排除された後、現在まで完全無所属、支持政党なし。6期目に議長も務めて改選し、7期目に町田市議選史上最高票を獲得。さらに、8期目は7期目を上回る史上最高票9206票を達成。議会内では「無所属」に参画。ユーチューブ「発見動画チャンネル」を運営。零細企業営業マンを務め、政治経験が長い。ネット関係の著作、講演もある。

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政党所属議員の党内発言と賛否、及び共産党や共産主義を掲げる政治団体について:マイナーな世界の話ですが、いくつか承知のことを記載2024.3.4

政治問題
1986年6月19日と表示されており、選挙の政見放送を関係者が撮影したものか、撮影日の同行者が撮影したものです

 表記の短文は、✕でやり取りした、最近一部で話題になっている共産党とその議員の関係に関して原則を書いたものと、共産主義を掲げる政治団体に関して記述したものです。自分の身の回りにあった事象、知っていた人物をもとに記しました。Xの書き込みに関しては、相手の名称、記述内容をすべて割愛しています。読みにくい点もあるので、関心がある方以外は読み飛ばしてください。 

2024年3月3日←(13時間前:2024年3月4日午後0時30分頃の表示)
当方はそれぞれの同時代を駆け抜け、今も元気に生きながらえています。市議同期生は半数が亡くなりました。他の人とは違った道を歩み、上記の人たちとかすめることも、戦うこともありました。紛争当時から、共産主義とは異なる立場を取ってきています。

2024年3月3日(15時間前:2024年3月4日午後0時30分頃の表示)
私は日本共産党の議員ではなく、共産主義者でもありません。共産党が一般的に上手くいく方法を考える立場にありません。大山県議は共産党大会の代議員であり、議案(結語等)に「留保」でなく、反対するべきであった。そうすれば「なぜか」を説明できる環境ができた。留保では外部に理由を説明できない

2024年3月3日(15時間前:2024年3月4日午後0時30分頃の表示)
長州新聞は共産党から分かれた「共産党(左派)」の人たちが作り、その一人は無所属で下関市議会で活動をされています。れいわ新選組の構成者は、MPD・市民の党につながる新左翼系統でしょう。行動や交流は近しくにあっても、政治分類としての根は別と言えましょう。

午後10:14 · 2024年3月3日
日本共産党(左派)は、事実上、終焉し、その末裔の方は無所属の議員(2期目)でしっかり活動中です。ネットや議会HPで確認できます。市民の党は今も存在するのか私には不明です。また、後者のリーダーは選挙違反を背負い、前面では行動できない。その参加者は山本太郎氏やれいわを支援していると思う

午後9:40 · 2024年3月3日
共産党左派は、日本共産党が対ソの関係で中国と親しくなって以降、それが中国とも疎遠になる時期に、分派したものです。MPDは、新左翼の一部旧ML派の一部がいたように思うが、70年代に新左翼系に転換した構造改革派のフロント系統の人材もいたように思う。毛沢東思想と言うと旧ML派の流れとなる記憶

2024年3月3日←(14時間前:2024年3月4日午後0時30分頃の表示)
革共同系は思想的先祖はトロッキーであり、共産主義的伝統を持つ。共産同(ブント)は60年安保闘争と全学連の主流派争奪を通じて、共産党分派から独立組織となった。解体後、70年安保闘争前に再興、さらに細かく分派した。山口の方は共産主義の旗を降ろし、身近な政治に移行したもの理解する(続く)

2024年3月3日←(13時間前:2024年3月4日午後0時30分頃の表示)
斉藤まさし氏は、思想的な傾向より、部隊(各地で地方議員を誕生させ、行動組織を保持した)を旧社会党、民主党系の運動に人員を派遣し、選挙体制を作り、資金を移動させていたようです。*多数の例がネットにも出ている。形態的には毛沢東主義と言うより、中国の軍閥が近いのではないでしょうか。(終

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